7月14日 (日) 金沢市設
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 2 0 0 1 0 0 0 4 ゴ軍 15勝22敗1分 0.405 石田光彦
0 2 1 1 2 0 3 0 X 9 セ軍 16勝27敗 0.372 一言多十
勝利投手 一言多十 4勝6敗
敗戦投手 石田光彦 9勝10敗
二塁打 (ゴ)坪内
三塁打 (ゴ)坪内 (セ)鈴木2、白木、横沢、大沢、一言
本塁打 本塁打 (ゴ)菊矢吉男 3号 (セ)鈴木清一 1号
勝利打点 なし
猛打賞 (セ)鈴木清一(4安打)3
鈴木清一 三塁打2本、本塁打1本
金沢市設の第1試合は石田光彦と一言多十の先発で午後1時25分、金政主審の右手が上がりプレイボール。日曜日ということで観客数は昨日の約2,000人から約5,000人に増えた。グラウンドコンディションも昨日の「不良」からこの日は「良好」に変わっている。
ゴ軍は初回、一死後大友一明の当りは遊ゴロ、これをショート大沢喜好が一塁に悪送球して一死二塁、坪内が右越えに三塁打を放ち1点を先制する。
セ軍は2回裏、一死後一言が右前打で出塁、鈴木清一が中越えに三塁打を放ち1-1の同点、長持は四球から二盗に成功、熊耳の右犠飛で2-1と逆転に成功する。
ゴ軍は3回表、一死後坂本勲が中前打で出塁、トップに返り酒沢はストレートの四球で一二塁、坪内が右越えに逆転の2点タイムリー二塁打を放ち3-2と逆転に成功する。
セ軍は3回裏、先頭の白木が右越えに三塁打、一死後飯島が中前にタイムリーを放ち3-3の同点に追い付く。
セ軍は4回裏、先頭の鈴木が中越えに2打席連続の三塁打、長持は四球を選び、熊耳は二飛に倒れて一死一三塁、ここで長持がスタート、キャッチャー辻功からの送球に長持はタッチアウトで盗塁失敗、しかしこの間に三走鈴木が還って4-3と勝ち越す。重盗の片割れアウトなので鈴木に「本盗」は記録されない。
セ軍は5回裏、先頭の横沢が左中間に三塁打、飯島は浅い中飛、大下も投ゴロに倒れるが、一言が四球を選んで二死一三塁、ここでダブルスチールを決めて5-3、鈴木がレフト線にタイムリーを放ち6-3とする。
ゴ軍は6回表、先頭の大友が四球で出塁するが、坪内のニゴロが「4-6-3」と渡ってゲッツー、ここで菊矢が左越えに第3号ホームランを放ち4-6と追い上げる。
セ軍は7回裏、先頭の飯島の当りは遊ゴロ、これをショート酒沢がエラー、大下の左前打で無死一二塁、大下がキャッチャー辻からの牽制に刺されるが、この間に二走飯島は三進、一言が右越えに三塁打を放ち7-4、鈴木が中越えにツーランホームランを放ち9-4と突き放す。
一言多十は6安打4四球1三振の完投で4勝目をマークする。
セ軍のショート大沢喜好は1回に最初のゴロを一塁に悪送球したが、その後は10個のゴロを捌いて10補殺を記録した。「雑記」欄にわざわざ「大沢補殺10を記録したは珍し」と書かれている。遊撃手の1試合最多守備機会記録は昭和15年8月8日にイーグルス時代の山田潔が記録した16個で、内訳は補殺が9個で刺殺が7個であった(2013年1月19日付け「一試合最多守備機会 」参照)。この日の大沢の刺殺は2個なので守備機会は12回であったが、山田の最多記録の時よりも捕殺数は1個多い。
鈴木清一が4打数4安打、三塁打2本、本塁打1本を記録した。2本の三塁打のうち1本が二塁打であったなら、プロ野球史上初の「サイクル安打」を記録するところであった。「サイクル安打」は2年後の昭和23年10月2日に藤村冨美男が初めて記録することになる。
もう一つ惜しいのがセ軍の8回裏の攻撃が鈴木の前の一言多十で終了したこと。鈴木に第5打席が回ってきて二塁打を打っていたら、「2本の三塁打を含む5安打でのサイクル安打」が記録されるところであった。プロ野球史上、現在までにサイクル安打は69人が述べ74回達成(横浜のローズが3回、藤村冨美男が2回、松永が阪急時代とオリックス時代に1度ずつ、福留が中日と阪神で1度ずつ)しているが、「三塁打2本を含む5安打でのサイクル安打」は1976年4月17日にロッテの得津が記録した1回だけである。この日の鈴木の振りであれば、5打席目に十分二塁打が狙えたのではないか。
*1974年に「2本の三塁打を含む5安打でのサイクル安打」を達成した得津高宏。BBM社発行「ロッテ40周年」より。
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