7月15日 (月) 高岡高専
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ゴ軍 15勝23敗1分 0.395 江田孝 内藤幸三 末崎正隆
0 2 0 1 6 2 3 12 X 26 グ軍 21勝29敗 0.525 別所昭
勝利投手 別所昭 4勝3敗
敗戦投手 江田孝 1勝2敗
二塁打 (グ)河西2、田川、山本
三塁打 (グ)別所
本塁打 (グ)筒井敬三 2号、宮崎仁郎 2号、堀井数男 1号・2号、河西俊雄 1号、別所昭 1号
勝利打点 (グ)筒井敬三 3
猛打賞 (グ)河西俊雄(6安打)5、安井亀和 7、山本一人 7、堀井数男(4安打)2、別所昭 2、田川豊(4安打)1
グ軍 28安打、6本塁打、26得点、52塁打
高岡高専の第1試合は午後1時丁度、国友正一主審の右手が上がりプレイボール。国友はこの試合が初めてのプレートアンパイア。戦後はセ・リーグ審判員として初めてインサイドプロテクターを使用することになる。
グ軍は初回、先頭の河西俊雄が三塁内野安打で出塁、安井亀和はストレートの四球で無死一二塁、清水秀雄の左飛に二走河西が飛び出しておりレフト早川平一から二塁ベースカバーのショート酒沢政夫に送球されてダブルプレー、山本一人監督は遊ゴロに倒れて無得点。
グ軍は2回裏、一死後別所昭が左前打で出塁、田川豊が送って一死二塁、筒井敬三が左越えにツーランホームランを放ち2点を先制する。
グ軍は4回裏、先頭の堀井数男が四球で出塁、別所の遊飛後、田川が右前打を放って一死一二塁、筒井の投前バントをピッチャー江田孝が一塁に悪送球して二走堀井が還り3-0とする。
グ軍は5回裏、先頭の安井が左前打で出塁、一死後山本が右前打、ダブルスチールを決めて一死二三塁、堀井の遊ゴロはショート酒沢が送球できずオールセーフ、記録は野選で一死満塁、別所の投ゴロを江田が本塁に送球するが悪送球となって二者還り5-0、田川の中越え二塁打で6-0、筒井は三振に倒れて二死二三塁、宮崎が左越えにスリーランホームランを放ちこの回6点、9-0とする。
グ軍は6回裏、一死後山本が中前打で出塁、堀井が左越えにツーランホームランを放ち11-0とする。
グ軍は7回裏、先頭の河西が左越えにホームランを放ち12-0、安井は四球、清水は右前打、パスボールで二者進塁して無死二三塁、山本の三ゴロで三走安井が三本間に挟まれ二走清水は三塁ベースに達し安井も三塁に戻って雪隠詰め、キャッチャー辻功は安井、清水の順にタッチするが安井は三塁ベースを離れず清水がタッチアウトとなって一死一三塁、占有権のある安井が先にタッチされたことから「俺がアウトか」と勘違いして塁を離れたら辻が再度タッチしてダブルプレーとなるところだが安井はルールを理解していた。続く堀井が右前にタイムリーを放ち13-0、別所は四球を選んで一死満塁、ゴ軍はここでようやく先発の江田を下げて内藤幸三をマウンドに送り、二死後筒井が押出し四球を選んで14-0、宮崎の三ゴロをサード坂本勲はホームに投げて三走堀井がフォースアウトとなってスリーアウトチェンジ。
グ軍は8回裏、先頭の河西が5安打目となる左前打で出塁、安井はピッチャー強襲ヒット、内藤の一塁送球が悪送球となって無死二三塁、キャッチャー辻の三塁牽制が悪送球となって三走河西が還り15-0、清水が四球を選んで無死一三塁、山本の遊ゴロで清水が二封される間に三走安井が還り16-0、堀井が左越えにツーランホームランを放ち18-0、別所が右中間に連続ホームランを放ち19-0、田川が左前打で出塁、筒井は三振に倒れるが、宮崎の右前打で二死一二塁、トップに返り二巡目の河西がこの日6安打目となる二塁打をレフト線に放ち20-0、安井が左前に2点タイムリーを放ち22-0、清水の一飛をファースト末崎正隆が落球、山本のレフト戦二塁打で23-0、堀井の中前タイムリーで24-0、グ軍は内藤をファーストに回してファーストの末崎がマウンドに上がり、別所が左中間に三塁打を放ちこの回12点、26-0とリードを広げる。
別所昭は7安打2四球2死球3三振で戦後初完封、4勝目をマークする。戦意喪失のゴ軍打線相手なのであまり高く評価することはできない。
河西俊雄の6安打は新記録。後に大下が更新することになる。
グ軍の28安打、6本塁打、52塁打は何れも新記録。1イニング12得点はタイ記録。
グ軍は出場した9人のうち、猛打賞が6人、筒井敬三と宮崎仁郎も2安打で、清水秀雄だけが1安打であった。清水がもう1本打っていたら、「全員マルチヒット」の空前の記録となるところであった。
猛打ばかりが目立った試合であるが、グ軍は4併殺を記録して守備でも気を吐いた。
ゴ軍には特筆する事象はないが、菊矢吉男が2打席連続死球を受けた。
「南海ホークス40年史」ではこの試合を次のように伝えています。
返信削除……高岡高等工業専門学校のグラウンドは校舎の裏側にあった。強い初夏の太陽が本塁方向へ射していた。それでも一応スタンドがあって、五千人ほどの観衆がつめかけた。この試合のスコアーカード(といっても後日公式記録員山内以九士によって清書されたもので、記録員の署名はない)は、現在コミッショナー事務局に保管されているが、このカードの雑記欄に「1試合6本塁打、28安打52塁打、河西の6安打はいずれも新記録、一イニング12点、一イニング11安打はタイまたは新記録、山本、堀井の得点5もタイ記録、江田の被4本塁打はタイ記録、全員・毎回安打、全員得点、堀井、別所の連続本塁打」といった書き込みがある……
さきの「阪神タイガース昭和のあゆみ」と、この「南海ホークス40年史」は関西運動記者の生き証人だった石崎龍(元同盟通信)の筆によるものです。
コメント返しは別項にて。
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