2014年10月13日月曜日

ドーリットル空襲





 真珠湾に奇襲攻撃を受けて以来敗色濃厚のアメリカは世論を喚起するため日本本土空襲を計画、昭和17年4月18日、空母ホーネットを発艦した16機のB-25爆撃機は東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸を爆撃した。


 この日神宮球場で予定されていた東京六大学春季リーグ戦の開会式は中止、25日に延期された。後楽園球場で予定されていた黒鷲vs巨人、朝日vs阪急の2試合は中止、22日に延期された。


 4月19日に予定されていた後楽園球場の黒鷲vs朝日戦、巨人vs阪急戦と甲子園球場の南海vs名古屋、大洋vs阪神戦も21日に延期された。20日以降に予定されていたスケジュールも変更されることとなり、21日にようやく試合が行われることとなるのである。


 昭和17年4月20日付け読売新聞は「19日甲子園で挙行予定の日本野球二試合は22日に延期(実際は21日=筆者注)されたが神宮外苑における東京六大学野球リーグ戦を始め各競技の大部分は都合で中止となった。」と伝えている。日本本土最初の空襲は「都合」と表記されているのである。



 このような状況の中で、東都大学野球は4月19日、吉祥寺において日大vs専大戦を挙行、意地を見せた。試合は延長12回の末専大が日大を2対1で破った。青学vs拓大戦も行われ、11対6で青学が拓大を破っている。日吉の慶大グラウンドでは新人陸上戦も行われ、慶大が優勝した。



 ドーリットル空襲にはモー・バーグが昭和9年の日米野球で来日した際に撮影した映像が利用されたと言われている。バーグは日米野球の前にも来日しており、日本各地で撮影した映像が各地空襲の際に利用されたとも言われている。戦火はすぐそこに来ているのである。





*読売新聞社が刊行した昭和9年日米野球アルバムに残されたモー・バーグの直筆サイン。このアルバムは当ブログが所有しているものです。現在、野球殿堂博物館で日米野球特集が開催されており、殿堂博物館所蔵の日米野球アルバムが展示されています。同アルバムは複数作成されており、当然当ブログ所有のものと現在殿堂博物館で展示されているものは違います。












 

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