2014年10月25日土曜日

17年 黒鷲vs大洋 3回戦


4月25日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 3 0 0 3 黒鷲 5勝10敗 0.333 石原繁三
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 大洋 8勝7敗1分 0.600 三富恒雄

勝利投手 石原繁三 4勝5敗
敗戦投手 三富恒雄 3勝3敗

二塁打 (黒)木下

本塁打 (黒)寺内 1号

勝利打点 寺内一隆 1


寺内一隆監督、代打決勝スリーラン

 黒鷲は石原繁三、大洋は三富恒雄が先発。共にここまで3勝をあげており今季好調な投球を見せている。

 大洋は初回、先頭の中村信一の投ゴロをファースト小松原博喜が落球、黒鷲は中河美芳が志願入隊して今季はファーストに杉山東洋夫と小松原を併用しており、小松原はこの試合で初のスタメン三番に起用されている。織辺由三は投飛、濃人渉は三飛に倒れるが、村松長太郎が死球を受け、浅岡三郎が四球を選んで二死満塁、しかし野口明は一邪飛に倒れて拾い物の先制のチャンスを逃した。

 大洋は3回、先頭の中村がセンター右にヒット、織辺が送って一死二塁、黒鷲の新監督・寺内一隆はここでこの日2三振と不振のライト富松信彦を下げて杉江文二に交代する。この交代がこの試合のキーポイントとなることはまだ誰も知らない。一死二塁となったが一息入れた石原は濃人を遊飛、続く村松をスリーボールナッシングから三振に打ち取る。

 大洋は4回も一死後野口明が左前打、三富の右前打で野口明は三塁に進み一死一三塁とチャンスを作るが三富が二盗に失敗、佐藤武夫は投ゴロに倒れて無得点に終わる。試合巧者らしくない攻撃であった。

 押されっ放しの黒鷲は5回、一死後木村孝平の左飛をレフト村松が落球、山田潔が四球を選んで一死一二塁、トップに返り渡辺絢吾は三振に倒れるが杉江の二ゴロをセカンド苅田久徳がエラーして二死満塁、しかし小松原は一ゴロに倒れて無得点。

 黒鷲は6回、先頭の四番・木下政文が左中間に二塁打、しかし玉腰忠義の中飛に飛び出して戻れずゲッツー、鈴木秀雄が中前打を放つが石原は中飛に倒れてスリーアウトチェンジ。しかし徐々に試合の流れは黒鷲に傾いてきた。

 黒鷲は7回、先頭の木村が中前打で出塁、山田の投前送りバントを三富が二塁に送球するがセーフ、犠打と野選が記録されて無死一二塁、トップに返り渡辺が送って一死二三塁、ここで途中出場の杉江に代わって代打に寺内一隆監督が登場、寺内はツースリーからの6球目をレフトスタンドに運ぶスリーラン、3-0とする。

 石原繁三は3安打2四球1死球5三振で今季初完封、4勝目をあげる。三富恒雄は9回を完投して6安打3四球6三振のピッチングであった。


 好調投手同士の投げ合いは寺内の一発でけりがついた。この試合二番ライトで先発出場した富松信彦は2打席連続三振、寺内監督は3回途中で杉江文二と交代させた。7回一死二三塁のチャンスを迎えると、寺内は杉江に代えて「代打、俺」と打席に立ち決勝スリーランを放ったのである。好打者富松がこの試合でヒットを打っていたら杉江と交代することはなく、寺内の登場もなかったでしょう。人生何が起きるか予測はつかないものです。








*石原繁三は3安打完封で4勝目をマークする。












*「代打、俺」の寺内一隆監督が決勝スリーランを放った場面。














 

2 件のコメント:

  1. 竹中半平が自著に記している寺内一隆の代打本塁打です。この試合のようですね。

    ……後にだんだん戦争で幹部が抜けて彼が主将兼監督になった時、ある試合で代打を起用しようとしてベンチを顧み皆が尻込みした時に「それでは」と自らバットをひっさげて本塁打を放ったのは、終戦後の苅田の代打ホームランと好一対である。……

    年月がはっきり書かれていない事例を見つけるも面白いですね。

    http://baseballgleaning.blog.fc2.com/

    返信削除
    返信
    1. 竹中半平著「背番号の愛着」「2番」の項ですね。早稲田閥のイーグルス-黒鷲の系譜で初めて立教出身の寺内一隆が監督になりました。
      昭和17年2月15日発行「野球界」第4号によると前監督の杉田屋守は昭和16年夏から秋にかけて病気だったそうです。

      削除