2014年10月14日火曜日

又しても空襲警報




 お伝えしたとおり、昭和17年4月21日甲子園球場の第二試合、大洋vs阪神戦は延長11回表大洋の攻撃途中で空襲警報が発令されたため試合中止、公式記録は延長10回引分けとなりました。


 4月18日に飛来したドーリットル爆撃隊は中国大陸等に飛び去りましたが、この後しばらく遊軍機を敵機と誤認してあちこちで空襲警報が鳴ったことが確認されています。「Wikipedia」で「ドーリットル空襲」を検索してみると、2003年10月にアリアドネ企画から刊行された「日米全調査 ドーリットル空襲秘録」からの引用が数多く見られます。脚注91(同著186-188頁)によると「陸海軍機に対する誤認と誤射が18日から21日にかけて多数発生し」とのことです。21日に甲子園球場の試合を延長11回途中で中止せしめた空襲警報も友軍機を誤認したものでした。


 日本本土初の空襲となった「ドーリットル空襲」に関しては日米で数多くの専門家による検証がなされています。空襲当日の4月18日にプロ野球の試合が中止になったことや東京六大学春季リーグ戦開会式が中止になった事実はよく知られていますが、4月21日の試合が誤認した空襲警報により試合途中で中止引分けになった事実は研究者の間でも知られていないのではないでしょうか。流石の研究者諸君も、当時の職業野球公式スコアブックまでは検証対象としていないのではないかと推測されます。当ブログの解読作業が、野球史のみならず、近代日本史研究にも寄与することとなりました。





*「雑記」欄には「2時50分頃警戒警報発令。4時45分空襲警報発令 直ちに仕合を中止す。」と書かれています。日本近代史研究における貴重な資料ですね。






*試合は延長11回、大洋の攻撃途中で中止となった。







*延長11回途中で中止になった場面。







 

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