2022年12月28日水曜日

河西のコンバート

 お伝えした通り、昭和21年10月28日、優勝を狙う上で重要なセ軍戦でサード河西俊雄 は3個のエラーを犯した。 

 昭和21年の河西はセンターとサードを掛け持ちし、後半戦はほぼサードに定着していた。

 これは、本来サードであった山本一人監督が、自軍に八百長に加担している選手がいることを知り、全体を見張るにはファーストの方が都合がよいことからファーストに回ったため河西をサードにコンバートしたのであった。この経緯は鶴岡の自伝「御堂筋の凱歌」に書かれている。

 この試合で河西が3個のエラーを犯し、八百長問題にもけりが付いたことから山本は翌47年サードに戻ることとなり、河西をセンターに再コンバートする。河西の快足を活かすにはセンターの方が良かったのであろう。河西はこの年から3年連続盗塁王に輝く。


0 件のコメント:

コメントを投稿