横綱・佐田の山関(元・出羽海理事長)の訃報が伝わっています。
自宅は千葉県市川市でした。筆者の母校・真間小学校の近く、真間川の畔(ほとり)にあったことから、真間小学校に出羽海部屋の力士がやってくることとなり、真間小の校庭の端に土俵を造って親善相撲が行われました。1968年に蔵前国技館で行われた引退相撲には真間小学校の生徒が招待され、4年生だった筆者も蔵前国技館で佐田の山の断髪式を目の前で見ました。
ということで、出羽海部屋の大ファンとなり、福の花と海乃山を応援していました。史上初めてファンになった「海乃山」は、得意の「蹴手繰り(けたぐり)」で大鵬をひっくり返したこともあります。その頃目を付けていたのがまだ幕下だった三重ノ海で、筆者が「三重ノ海ファン第一号」であったことは歴史的事実です。横綱昇進の10年以上前から「未来の横綱!」と信じていました。
相撲史的には、佐田の山は同年生まれの柏戸と2年年下の大鵬の「柏鵬時代」における「第三の横綱」という位置付けになるかもしれませんが、優勝回数では柏戸の5回より多い6回を数えます。大鵬、柏戸に比べて素質に恵まれなかったことは多くの相撲史家が認めるところですが、猛稽古と激しい闘志により相撲史にその名を刻み込みました。
先代・出羽海の娘と結婚して市川家の婿養子となったことから姓が「佐々田」から「市川」に変わります。千葉県市川市に住むこととなったのと何か関係があるのか、全く分かりません。
合掌。そして、お疲れさまでした。
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