当ブログは、昭和18年7月・8月の月間MVP打撃部門に、野口二郎と並んで山田秀夫を選出させていただきました。
当ブログが発掘するまでほぼ無名の選手で、「Wikipedia」にも紹介されていません。高橋敏も当ブログが発掘するまで「Wikipedia」に項がありませんでしたが、現在では詳しく紹介されています。ほぼ当ブログからのパクリですが(笑)。
荏原中学から昭和18年に西鉄に入団して1年のみの在籍です。旧制・荏原中学は現在の日本体育大学荏原高等学校(日体荏原)、近年は甲子園から遠ざかっていますが高校野球ファンにはお馴染の名門で、東京では早実と並ぶ伝統を誇ります。OBとして、「中澤不二雄」と「横沢三郎」の二人のが野球殿堂入りしています。選手では、戦後の大洋の主砲・桑田武が代表ですね。新人本塁打数31本は清原と並んで歴代トップです。
お伝えしてきたとおり、山田秀夫は昭和18年夏季に入って3節連続敢闘賞を獲得し、7月15日~8月15日にかけて49打数15安打、打率3割6厘を記録しています。8月7日の朝日戦で頭に死球を受けて途中退場、1試合欠場しますが、復帰後も4打数1安打、3打数1安打、5打数2安打をマークしました。
1922年2月21日生れですから、プロ入り時点で21歳、日体荏原卒業後の経歴は不明です。昭和18年の出場試合は48試合、夏季までに33試合出場していますので、あと15試合でプロ野球から去ることとなります。恐らく応召と思われますが、その後の消息も不明。
このような選手を世の中に紹介することも、当ブログに課せられた使命ですね。
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