2011年10月8日土曜日

弾丸シュートだ


 先日のシンボリルドルフ号に続き、サッカーボーイ号の訃報が報じられています。26歳ですので、ルドルフの時と同じ換算式を使えば人間の82歳となりますので大往生と言って良いでしょう。同期のオグリキャップより1年永生きしました。

 表題の「弾丸シュートだ。」はJRAのサッカーボーイのポスターのタイトルです。トウショウボーイの「天馬、空をゆく」、タマモクロスの「風か光か」と並んで私が好きなタイトルです。船橋法典駅から中山競馬場に向かう地下道の壁に掛かっています(最近ご無沙汰なので今は無いかもしれませんが。)。

 もみじ賞、阪神三歳ステークス(当時の馬齢、現二歳、後に阪神三歳牝馬ステークスに変更されたことから実質的に朝日杯三歳ステークスと統合された後、2001年から朝日フューチュリティステークス)を圧勝とテンポイントと同じ道を辿ったことから「テンポイントの再来」として期待されました。

 クラシックは裂蹄のため不本意な成績に終わりましたが、直線平坦の中京、函館、京都で見せたパフォーマンスは圧巻でした。直線の伸びは引き絞った弓から放たれた矢のようでした。多くの人が函館記念が最高のレースだったと語っています。


 一口馬主でサッカーボーイの弟を持っていました。「パーフェクトゲーム」と名付けられ、新馬戦を勝って函館三歳ステークスにも出走しました。賢兄と違ってダートの中距離と芝の2500メートル戦を得意とする個性派の愚弟でしたが、4勝して準オープンまで行ったのですから大したものです。布引特別では後に鳴尾記念で二着するヤマニンバイタルを破っています。


 シンボリルドルフとサッカーボーイの共通点はオリンピックイヤーがクラシックイヤーである点です。すなわち1984年と1988年です。古来より、オリンピックの年の四歳馬(旧表記、現・三歳馬)に強い馬が現れると言われています。昭和35年がコダマ、東京オリンピックの39年がシンザン、43年が当時史上最強世代と言われたアサカオー、マーチス、タケシバオーの世代、七夕ダービーの47年はランドプリンス、ロングエース、イシノヒカル、タイテエム、タニノチカラの世代で史上最強世代と言われています。51年は47年を凌ぐとも言われておりトウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスです。私が競馬を始めた記念すべき年でもあります。55年のモスクワオリンピックは日本が不参加だったからかモンテプリンス、アンバーシャダイとやや地味ですが、通のあいだでは最強世代の声もあります。59年(1984年)がシンボリルドルフ、昭和最後の63年(1988年)がオグリキャップ、スーパークリーク、サッカーボーイです。

 北海道の草は四年に一度質が良くなることから幼少期に質の良い草を食べて育った世代のクラシックイヤーが偶然オリンピックイヤーと重なっているためとも言われています。平成になってからこのサイクルが狂ってきました。地球温暖化の影響でしょうか。


14年 第7節 週間MVP


 今節は南海が4勝1敗、ジャイアンツが4勝1敗、セネタースが3勝1敗、タイガースが3勝2敗、イーグルスが2勝2敗、名古屋が1勝3敗、ライオンが1勝3敗、阪急が1勝3敗、金鯱が1勝4敗であった。


週間MVP

投手部門

 ジャイアンツ スタルヒン 1

 今節4勝0敗、内容も伴ってきて今季初受賞となった。



打撃部門

 南海 鶴岡一人 2

 今節19打数5安打3得点3打点4四球、二塁打2本、本塁打1本。打率は低いが三試合連続先制打を放ち南海四連勝を引っ張った。使用球が劣化する中での甲子園でのオーバーフェンスは光る。


 ジャイアンツ 中島治康 1

 今節19打数9安打4得点3打点3四球、二塁打3本。ようやく調子を上げてきた。





殊勲賞

 セネタース 金子裕 1

 強打タイガースを相手に3安打完封勝利を飾る。


 金鯱 大宮清 1

 名古屋戦で完投勝利を飾り金鯱の連敗を15で止める。





敢闘賞 

 セネタース 野口二郎 1

 2日間で二試合連続完投勝利、ようやく本領を発揮してきた。



 金鯱 古谷倉之助 1

 今節18打数8安打。金鯱からは今節三賞受賞が3人となっているが、古谷、野村が当っており15連敗から変化がでてきている。



 イーグルス 望月潤一 1

 四連勝中の南海相手にあわやノーヒット・ノーランの快投を見せる。




技能賞

 金鯱 野村高義 1

 選定理由は5月14日のイーグルス戦で放った右邪犠飛が日本プロ野球史上初のファウルフライによる犠牲フライとなったことであるが、今節16打数5安打3打点を記録しているように当っており、現在85打数26安打、打率3割6厘で昨秋の三冠王・中島治康を2分8厘上回り、現在打撃ベストテンの5位である。巨人を出て成功した打者第一号でもある。


 タイガース 御園生崇男 1

 5月14日、神戸市民球場のライオン戦で日本プロ野球史上初の二打席連続犠牲フライを記録する。



14年 ジャイアンツvsタイガース 4回戦


5月20日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 2 0 0 2 0 0 6 ジャイアンツ 19勝9敗      0.679 スタルヒン
0 0 0 0 2 0 3 0 0 5 タイガース    18勝9敗1分 0.667 西村幸生 若林忠志


勝利投手 スタルヒン 14勝4敗
敗戦投手 西村幸生    4勝3敗


二塁打 (ジ)中島2 (タ)松木

ジャイアンツ、再び接戦を制す


 ジャイアンツはスタルヒン、タイガースは西村幸生と、調子を上げてきた両エースの対決。

 ジャイアンツは初回、先頭の白石敏男が中前打で出塁、水原茂は左飛に倒れるが千葉茂は四球を選んで一死一二塁、ようやく調子を上げてきた中島治康が左前にタイムリーを放って1点を先制、川上哲治の左前打で一死満塁、アチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)の右犠飛で2-0とする。

 ジャイアンツは4回、先頭の井上康弘が四球で出塁、吉原正喜が送ってスタルヒンの遊ゴロの間に井上は三塁に進んで二死三塁、白石が中前にタイムリーを放って3-0として白石が二盗に成功、水原四球、千葉が右前にタイムリーを放って4-0とする。

 タイガースは5回、先頭の松広金一が一塁に内野安打、西村幸生の中前打で無死一二塁、皆川定之の二ゴロで西村が二封されて一死一三塁、トップに返り松木謙治郎が右翼線に二塁打を放って1-4としてなお一死二三塁、本堂保次の遊ゴロの間に皆川が還って2-4と追い上げる。

 ジャイアンツは7回、一死後千葉が中前打で出塁、中島が左翼線に二塁打を放って一死二三塁、タイガースベンチはここで西村を降板させて若林忠志をマウンドに送る。川上の投ゴロで千葉がホームを突くが「1-2」と渡ってタッチアウト、川上が盗塁を決めて二死二三塁、ここでリベラが三遊間を破り二者還って6-2と突き放す。

 タイガースは7回裏、先頭の松広が四球で出塁、若林の投ゴロの間に松広は二進、皆川の左前打で一死一三塁、ここでスタルヒンからの一塁牽制が大悪投となって松広が生還して3-6、皆川も一気に三塁に進む。松木が四球を選んで再度一死一三塁、ダブルスチールを決めて4-6、本堂は三振に倒れて二死二塁、ジミー堀尾文人の当りは真上に上るフライとなってキャッチャー吉原がフェアグラウンドで構えるがこれを落球する間に二走松木がホームに還って5-6と1点差に詰め寄る。

 若林が8回、9回を無失点に抑えればスタルヒンも8回、9回を三者凡退に退けジャイアンツが1点差で逃げ切る。スタルヒンは7安打2死球7三振の完投で14勝目、5失点ながら自責点は2であった。


 川上は鈍足と言われるが今季は8盗塁を記録することとなる。本日の盗塁はその内の一つである。アチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)が4打数1安打ながら3打点の活躍を見せて来日初のお立ち台となった。不調が続いていた中島治康が5打数4安打1打点、二塁打2本の活躍で今季通算115打数32安打、打率を2割7分8厘に上げてようやく打撃ベストテンの七位に顔を出してきた。因みに川上は3割8分8厘で首位打者をキープしています。


 ジャイアンツは18日の阪急戦に続いて「6対5」のスコアで接戦を制す。結果的に見るとこの2試合で当面のライバルをたて続けに一点差で破ったことが今季の優勝につながることとなるのである。




訂正のお知らせ 14年 ⑥


 2011年9月24日付けブログ「14年 名古屋vs南海 4回戦」において、「明治44年生まれの劉瀬章は明治41年生まれの若林が法政に入学してきた時には既に神宮で投げていた。」とお伝えしていましたが、年齢通り劉瀬章は若林忠志の後輩として若林の後に本牧中学経由で法政大学野球部に入部しているようです。

 したがって、本文からは上記の部分を削除させていただきました。お詫びして訂正させていただきます。この辺りの経緯は「七色の魔球 回想の若林忠志」を参考にさせていただいております。上記間違いの経緯は私の勘違いによるものです。

2011年10月6日木曜日

14年 イーグルスvs南海 4回戦


5月20日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 5 1 1 0 0 0 4 0 11 イーグルス 12勝16敗1分 0.429 望月潤一
0 0 0 0 0 0 0 0 2  2  南海          10勝17敗1分 0.370 劉瀬章 天川清三郎 宮口美吉


勝利投手 望月潤一 2勝4敗
敗戦投手 劉瀬章    2勝3敗


二塁打 (イ)望月、中河
三塁打 (イ)寺内

望月潤一、無安打無得点を逃す


 イーグルスは2回、一死後杉田屋守が四球で出塁、伏見五郎の中前打で一死一二塁、望月潤一が左中間に二塁打を放って1点を先制する。辻信夫四球で一死満塁、漆原進の左犠飛で2-0、トップに返り寺内一隆の三ゴロをサード鶴岡一人がエラーして二死満塁、山田潔が押出し四球を選んで3-0、太田健一が左前に2点タイムリーを放って5-0とする。

 イーグルスは3回、先頭の中河美芳が四球で出塁すると南海ベンチは先発の劉瀬章を下げて二番手に天川清三郎をリリーフに送る。杉田屋は左前打、伏見の遊ゴロで杉田屋が二封されて一死一三塁、ここでダブルスチールを決めて6-0とする。

 南海は4回から宮口美吉がマウンドに上る。イーグルスは4回、先頭の寺内の遊ゴロをショート小林悟楼がエラー、山田四球、太田の一ゴロの間に二者進塁して一死二三塁、中河の遊ゴロの間に寺内が還ってこの回ノーヒットで1点を追加して7-0とする。

 イーグルスは8回、一死後寺内が左中間に三塁打、山田の右前タイムリーで8-0、ワイルドピッチで山田は二進し、太田の左前タイムリーで9-0、中河 のタイムリー右翼線二塁打で10-0、伏見の遊ゴロをショート小林が失して11-0とする。

 珍しく大量得点を貰った望月潤一は抜群のピッチングを見せた。2回は二死後伊藤経盛に四球を与えたが伊藤の二盗をキャッチャー伏見が刺す。4回一死後、国久松一に四球を与えたが鶴岡は左飛、中村金次は投ゴロ抑える。5回と8回にバックのエラーで一走者ずつ出したが無失点。8回まで無安打無得点を続けて9回のマウンドに上る。

 南海は9回、山尾年加寿に代わる栗生信夫が遂に初ヒットを右前に放って無死一塁、小林悟楼も左翼線にヒットを放ち無死一二塁、国久は一邪飛に倒れて一死一二塁、鶴岡四球で一死満塁、中村金次が押出し四球を選んで1-11、岡村俊昭も押出し四球を選んで2-11、しかしここで望月が気合を入れ直して伊藤は三振、吉川義次が二ゴロに倒れてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。


 望月潤一は2安打5四球6三振の完投で2勝目をあげる。大量得点をバックに8回まで2四球2失策の無安打無得点であったが最終回に四球を連発して2失点を喫したのが惜しまれる。翌日の読売新聞は「イ軍投手望月の左腕から繰出す切れのよいカーブは物凄い威力をもって南海打者に手も足も出さしめず9回栗生、小林の連安打と四球連投に崩れて無安打無得点の快記録は惜しくも逸したが・・・」と伝えている。






          *望月潤一は惜しくも無安打無得点を逃す。








皇帝


 シンボリルドルフ号が30歳の大往生を遂げました。馬齢は人間×4と言われていますが加齢にしたがって差が無くなりますので10歳までを×4、20歳までを×3、30歳までを×2としますと馬の30歳は人間の90歳となりますので大往生と言えます。死因は老衰とのことです。

 馬名の由来はローマ皇帝「ルドルフ一世」からですので「皇帝」と呼ばれましたが、その走りっぷりはまさに「皇帝」でした。若い競馬ファンの方からよく「ディープインパクトとシンボリルドルフはどっちが強かったですか?」と聞かれるのですが、「ディープの『素軽さ』に比べてルドルフの強さは『重厚さ』にあったのさ。」と答えることにしています。

 ルドルフを初めて見たのは弥生賞の時です。まだビゼンニシキとどっちが強い?と議論されていた頃です。一番人気はビゼンニシキでした。このレースを見て三冠を確信しました。前年ミスターシービーがシンザン以来の三冠を達成していたので、どう見てもシービーより強いのだから三冠は確実と見た訳です。

 皐月賞はビゼンニシキとぶつかり合いながら競り勝ち、ダービーは最も危なかったレースですが結果は圧勝、菊花賞も抜け出すまでどうかという場面がありましたが史上初の無敗の三冠を達成しました。この頃は菊花賞からジャパンカップまでは中一週でしたが敢然と出走してきました。ここでルドルフが三着と敗れたことをきっかけとして菊花賞からジャパンカップまでの間隔を空けることとなった訳です。有馬記念までは十分調整期間がありましたので、前を行くジャパンカップ馬・カツラギエース、後ろから来る前年の三冠馬・ミスターシービーを両睨みしながらレースを進め、抜群のタイミングで抜け出して四冠を達成しました。

 五歳(旧馬齢表記です。現在なら四歳)春の天皇賞はサクラガイセンとの一点買いで馬券も大儲けでした。これでシンザンに並ぶ五冠を達成しました。サクラガイセンは八番人気でしたが、前年の有馬記念五着のレースぶりが非常に良かったので思いきって狙ってみました。宝塚記念を回避したあたりから雲行きが怪しくなってきました。秋の天皇賞はギャロップダイナの強襲に屈して二着に敗れました。ギャロップダイナはこの年の夏の札幌のレースで騎手を振り落として一着でゴールしたことで話題となりました。もちろん落馬ですから勝馬とはなりませんでしたが、いかにも伸び伸びと走っていたので私は「自由人」と名付けました。雨のジャパンカップを圧勝して六冠を達成し、いよいよ国内最終レースの有馬記念に向かいます。

 ルドルフの相手は皐月賞、菊花賞の二冠馬・ミホシンザンで間違い無いと確信していましたので、有り金全て(と言っても数万円ですが)一点買いでした。連勝(当時は今で言う枠連だけです。)160円の配当は余りにも美味し過ぎました。これで七冠を達成しましたが、翌年のアメリカ遠征でレース中故障して現役を引退します。サンルイレイ・ステークスでした。


 ルドルフの全レースに騎乗した岡部幸雄騎手は「人生の一部だった。」とコメントしています。馬券を通して競馬と関わるファンとしては「生活の一部だった。」とコメントさせていただきます。



*皐月賞のパドックで撮った写真です。右がシンボリルドルフ、左がビゼンニシキです。







*菊花賞の単勝馬券。この日は神宮外苑で草野球だったので後楽園で馬券を買ってから信濃町に向かいました。







*84年の有馬記念。この年は中山競馬場に見に行きました。








*85年春の天皇賞。サクラガイセンとの連複は1,290円でした。








*国内最後のレースとなった85年有馬記念。七冠を達成しました。










*ルドルフの引退後、繁殖に上がる前に千葉県のシンボリ牧場でファンとのお別れ会がありました。その時うろついていたシンボリルドルフを撮影した写真です。判別不能かもしれませんが、繁殖に上がる前の貴重な最後の姿です。撮っちゃダメと制するおじさんの手も写っています。







*おぼろげながらお馬さんの姿に見えると思いますが、シンボリルドルフです。







*こちらはその時シンボリ牧場で販売されていた写真です。



2011年10月5日水曜日

14年 名古屋vs金鯱 3回戦


5月20日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 名古屋 9勝17敗2分 0.346 繁里栄 中村三郎
1 1 0 0 0 1 1 0 X 4 金鯱    7勝21敗       0.250 大宮清


勝利投手 大宮清 1勝4敗
敗戦投手 繁里栄 2勝6敗


二塁打 (金)山本

金鯱、十六連敗を免れる


 名古屋は4月23日以来の復帰となる桝嘉一が三番に入る。

 金鯱は初回、先頭の佐々木常助が三遊間に内野安打、すかさず二盗を決めて無死二塁、五味芳夫が右前にタイムリーを放って1点を先制する。

 名古屋は2回、加藤正二、服部受弘が連続四球、芳賀直一が一塁前に送りバントを決めて一死二三塁、繁里栄の二ゴロの間に加藤が還って1-1の同点とする。

 金鯱は2回裏、二死後大宮清の二ゴロをセカンド村瀬一三がエラー、ワイルドピッチで二進すると山本次郎の右翼線タイムリーで大宮がホームに還り2-1とする。

 金鯱は6回、先頭の野村高義が中前打で出塁、名古屋はここで先発の繁里をあきらめて中村三郎をマウンドに送る。古谷が一塁線にバントヒット、小林茂太の捕前ゴロは「2-5」と渡って野村が三封されて一死一二塁。これは送りバント失敗かもしれませんが、無死一二塁で小林茂太に送りバントは無いのではないか。この前の古谷のバントヒットにしても送りバントが内野安打になったのかもしれないので金鯱はかなり慎重な作戦をとっているのか。というより十五連敗で攻撃が委縮しているのかもしれない。瀬井清の遊ゴロをショート芳賀が失して一死満塁、長島進の左犠飛で3-1とする。

 金鯱は7回、先頭の山本が左翼線に二塁打、佐々木が送って一死三塁、五味が四球を選んで一死一三塁、野村のこの日3安打目となる中前打がタイムリーとなって4-1とする。

 金鯱先発の大宮清は初回、一死後村瀬、桝嘉一に連打を浴びるが大沢清の投ゴロで「1-6-3」のダブルプレーに切り抜ける。2回は連続四球から1点を奪われ、3回も先頭の石田政良に左前打を許すなど立ち上がりはいつ崩れてもおかしくなかったが、4回以降名古屋打線を2安打無失点に抑え切り、結局5安打3四球4三振の完投でプロ入り初勝利を飾る。

 金鯱は4月11日以来の勝利で十六連敗を免れた。当っている野村高義が4打数3安打1打点の活躍を見せる。目立たないが九番山本次郎は四試合連続安打で上位打線へのつなぎ役を果たしている。


 山本次郎は浅野中学(当時は浅野綜合中学。)出身で今年金鯱に入団した。昭和12年、13年と二年連続夏の甲子園に出場した浅野中学野球部全盛期の中心選手である。昭和12年は2回戦で川上哲治・吉原正喜のバッテリーの熊本工業に敗れたが山本次郎は三番サードで出場している。昭和13年はベストエイトに進んでおり、この年も山本次郎が三番サードで出場している。

  準々決勝では平安中学に0対1で敗れたが、雨の中の試合でセンターが足を滑らせて1点を失い惜敗したものである。後輩には飯田徳治(仏の徳さん)がおり、飯田は昭和22年に南海に入団するので当ブログでも戦後編で登場することとなります。


 浅野中学出身者ではフジテレビ競馬中継のアナウンサーとして有名な堺正幸アナウンサーがいます。堺アナウンサーは実は当ブログに一度登場しています。2011年1月21日付けブログ「アテ馬」で、コスモドリームをサンキョウセッツと間違えて放送した有名な話を掲載させていただきました。この時は名アナウンサーとして名高い堺アナウンサーの名誉のため「Sアナウンサー」と表記していますが、Wikipediaにまで掲載されている程の有名なエピソードですのでイニシャルで表示してもあまり意味がありません。本日、と言っても日付けは変わると思いますが、この時以来久々に競馬ネタを掲載させていただきます。







*大宮清が完投でプロ入り初勝利を飾り、金鯱は十六連敗をまぬかれる。