6月29日 (土) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 1 1 0 3 セ軍 15勝22敗 0.405 一言多十
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 パ軍 15勝19敗2分 0.441 藤村隆男 湯浅芳彰 真田重蔵
勝利投手 一言多十 3勝5敗
敗戦投手 湯浅芳彰 2勝5敗
二塁打 (パ)木暮、森下、伊勢川
三塁打 (セ)熊耳 (パ)辻井
勝利打点 (セ)飯島滋弥 6
トリプルスチール
後楽園の第2試合は午後3時37分、島球審の右手が上がりプレイボール。池田豊が塁審として6月24日以来の出場、東日本の審判団は国友と桝に経験を積ませて育てる方針のようだ。
パ軍の先発は5月20日以来の登板となる藤村隆男。藤村が初回に2個の四球を出すと、藤本定義監督は2回から湯浅芳彰をマウンドに送る。
セ軍は3回表、この日二番レフトに起用された白木が右前打で出塁、飯島は三振に倒れるが、大下が右前打を放って一死一二塁、長持の右飛で二走白木はタッチアップから三進、大下が二盗を決めて二死二三塁、鈴木清一の左前タイムリーで1点を先制、二走大下も三塁ベースを蹴ってホームを狙うがレフト木暮からのバックホームにタッチアウト。
パ軍は4回裏、一死後藤井がストレートの四球で出塁、森下は中前打、辻井は遊飛に倒れて二死一二塁、伊勢川の右翼線二塁打で1-1の同点に追い付く。
セ軍は7回表、先頭の一言多十が四球を選んで出塁、トップに返り横沢の三塁線内野安打で無死一二塁、白木が三塁手に捕らせる送りバントを決めて一死二三塁、パ軍ベンチはここで三番手の真田をマウンドに上げるが、飯島のセンターフライで三走一言がタッチアップからホームイン、二走横沢もタッチアップから三塁に向かい、センター森下はサードに送球して横沢はタッチアウト、しかし一言のホームインの方が早かったと判定されて2-1と勝ち越す。飯島のセンターフライは当ブログルールにより「中犠飛」となる。
セ軍は8回表、先頭の大下が中前打で出塁、長持の投前バントを真田が二塁に送球して大下は二封、鈴木清一は右前打、熊耳は三振に倒れるが、石原光男が四球を選んで二死満塁、続く一言のカウントツーボールツーストライクからの5球目、三走長持、二走鈴木、一走石原が一斉にスタート、トリプルスチールが決まって3-1とする。
一言多十は7安打3四球1死球3三振の完投で3勝目をあげる。打撃では4打席連続四球を記録した。
セ軍は6月23日の中部戦から5連勝、ゴ軍を抜いて6位に浮上した。この間大下が19打数7安打6打点の活躍でチームを引っ張っている。勢いに乗ってこの日は「三重盗」まで決めた。
*昭和26年広島時代の選手名鑑に残された長持栄吉の直筆サイン。この試合でトリプルスチールによる「本盗」を決めた。「Wikipedia」によると豪快な人物だったようだ。一言多十と、三重盗の時の二走鈴木清一は島田商業の後輩とされているが事実とは異なるようです。詳しくはコメント欄を参照してください(2020年4月1日訂正)。
多くの資料で長持栄吉は島田商出身となっていますが、実際は島田尋常高等小学校から地元の東海紙料(現・東海パルプ)で野球を続け、戦後にプロ野球界へ入りました。
返信削除頭から思い切り飛込むダイビングキャッチの守備で人気を博しましたが、頻繁に繰り返すプレーに一部の同僚からヒンシュクを買ったとか…。
現役引退後は埼玉県大宮市の教育委員会へ入り、埼玉球界の発展に尽力しました。
仰るとおり、「選抜高等学校野球大会50年史」にも長持栄吉の名前が無かったので「おかしいな」とは思っていました。
返信削除本文も訂正させていただきます。但し、三重盗の際の二塁ランナーが鈴木清一であったのは不思議な因縁です。