6月27日 (木) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 4 2 0 0 0 0 0 0 6 ゴ軍 12勝18敗1分 0.400 石田光彦
0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 中部 10勝17敗2分 0.370 森井茂 服部受弘 西沢道夫
勝利投手 石田光彦 7勝8敗
敗戦投手 服部受弘 1勝2敗
二塁打 (ゴ)末崎、中村 (中)三村
勝利打点 (ゴ)酒沢政夫 1
猛打賞 (ゴ)中村信一 1、酒沢政夫 2
中村信一、ゴ軍を救う
第10節初日、西宮の第1試合は石田光彦と森井茂の先発で午後1時4分、杉村主審の右手が上がりプレイボール。
ゴ軍は一番に中村信一を起用した。6月1日に戦後初出場、23日のグ軍戦で戦後初ヒット、24日の巨人戦で戦後初スタメンで九番に起用され、この日は一番サードでの出場となった。
ゴ軍は初回、先頭の中村信一が中前打で出塁、酒沢が右前打で続いて無死一二塁、しかし坪内と菊矢は連続左飛、石田が四球を選んで二死満塁とするが、大友は遊ゴロに倒れて無得点。
中部ベンチは初回の森井のピッチングを見て不安を覚えたか、森井を1回で見限り2回から服部受弘をマウンドに送り込んだが、これが裏目に出た。
ゴ軍は2回表、一死後辻功が左中間にヒット、当たっている坂本勲が中前打を放って無死一二塁、トップに返り中村も三遊間を破って無死満塁、酒沢が右前に先制の2点タイムリーを放ち2-0、坪内は二飛に倒れて二死一二塁、菊矢が中前にタイムリーを放ち3-0、一走酒沢は三塁に進んで二死一三塁、ここで菊矢がスタート、キャッチャー藤原鉄之助が二塁に送球すると菊矢は一塁に戻り一二塁間でランダンプレー、この間に三走酒沢がスタートを切り、菊矢はタッチアウトとなるが酒沢のホームインが早く4-0とする。酒沢には「本盗」は記録されておらず、挟殺プレーの間の進塁扱いとなる。菊矢が巧く時間を稼いだと言える。
ゴ軍は3回表、先頭の石田が四球を選んで出塁、一死後末崎正隆の左中間二塁打で石田が一気にホームに還って5-0、二死後好調坂本が中前にタイムリーを放ち6-0と大きくリードする。
中部ベンチは4回から三番手として西沢道夫がマウンドに上がる。西沢は9回まで投げて無失点。6安打を許したがいつものように四球を出さずに投げ切った。ようやく明るい兆しが見えたか。
昭和11年のプロ野球初年度から何度も対戦してきた中村信一と今シーズン初めてチームメイトとなった石田光彦は、いつもの手抜き癖を見せずに気合の入ったピッチングで6回まで3安打無失点。
中部は7回裏、先頭の小鶴が右前打で出塁、しかし続く木下政文のライトライナーに飛び出しており「9-3」と渡ってダブルプレー、笠石徳五郎も中飛に倒れて無得点。
中部は8回裏、先頭の三村勲が右前打で出塁、一死後西沢が左前打を放ってチャンスを広げるが、トップに返り岩本は三ゴロ、鈴木秀雄は三振に倒れて無得点。
中部は9回裏、先頭の加藤正二が左前打で出塁、小鶴のセカンドライナーに加藤が飛び出しておりセカンド大友が一塁に送球するが悪送球となって加藤は二進、木下の右前打で一死一三塁、二死後三村が中越えに二塁打を放ち1-6、藤原はストレートの四球で二死満塁、しかし西沢は中飛に倒れてゲームセット。
後半はバテたが石田光彦は9安打2四球8三振の力投、自責点ゼロの完投で7勝目をあげる。
中村信一は4打数3安打1得点、二塁打1本の活躍を見せた。ゴ軍はここまで6連敗の泥沼であったが、石田の走塁や力投に見られるように、「中村効果」で連敗を脱した。
中村は昭和11年のセネタース時代(21年のセネタースとは別チーム)、セカンド苅田久徳、サード高橋輝夫と共に「百万ドル内野」を形成した時はショートであった。法政の名ショートとして鳴らした苅田は自伝に「奥行きの深さでは、二塁手にまさるものはない・・・学生時代や、巨人の第1回渡米など、海外遠征時に見た、とくに大リーガーの動きが、刺激になっていた。その人の名前は・・・フランキー・フリッシュという。」と書いているように、フランキー・フリッシュに触発されてプロではセカンドに転向する。その際、法政の後輩であった中村信一をショートとして徹底的に鍛え上げた。プロとしての基礎を苅田に叩き込まれた中村は、この試合で復活した。
0 件のコメント:
コメントを投稿