6月13日 (土) 函館
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 黒鷲 7勝27敗2分 0.206 石原繁三
0 0 0 2 0 0 1 0 X 3 大洋 22勝12敗2分 0.647 野口二郎
勝利投手 野口二郎 13勝6敗
敗戦投手 石原繁三 5勝12敗
勝利打点 村松長太郎 3
村松長太郎が決勝打
昭和17年夏季シーズンは選手、審判、記者、バット、ボール等が青函連絡船で津軽海峡を超え、6月13日に開幕した。試合開始は甲子園球場の第一試合が0時58分、函館の第一試合が2時25分なので関西が先ですが函館の試合からアップさせていただきます。試合開始が遅れたのは「野球界」昭和17年7月15日号によると「入場式40分遅れ」とのことで、何らかのトラブルにより開会式が遅れたことが原因です。
黒鷲は初回、この日プロ入り初のトップに入った木村孝平の二ゴロをセカンド山川喜作がエラー、苅田久徳が抜けた影響が早くも出た。玉腰忠義の投前送りバントは野口二郎が捌いて木村を二封、三番に入った渡辺絢吾の遊ゴロをショート濃人渉がエラーして一死一二塁、しかし富松信彦は捕邪飛、木下政文は遊ゴロに倒れて無得点、もらったチャンスを生かせなかった。
大洋は1回裏、先頭の中村信一の遊ゴロをショート木村がエラー、織辺由三が中前打で続いて無死一二塁とこちらも先制のチャンス到来、しかし濃人は左飛、野口二郎が四球を選んで一死満塁とするが野口明の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー。
黒鷲は4回、先頭の富松が中前打で出塁、木下の二ゴロで富松は二封、鈴木秀雄は三振、杉山東洋夫が四球を選んで二死一二塁とするが山田潔は遊ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。
ピンチの後にはチャンスあり、大洋は4回裏、先頭の野口二郎が右中間にヒット、野口明が中前打で続いて無死一二塁、浅岡三郎の三ゴロの間に野口兄弟が進塁して一死二三塁、このチャンスに村松長太郎が三遊間を破り二者生還、2点を先制する。浅岡の進塁打が効いた。
大洋は7回、先頭の山川が中前打、トップに返り中村の遊ゴロの間に山川は二進、織辺の三ゴロの間に山川は三進、濃人が四球を選んで二死一二塁、野口二郎の遊ゴロをショート木村がエラーする間に三走山川が還って貴重な追加点をあげる。ここも中村信一と織辺由三の進塁打が効いた。苅田が抜けても、苅田譲りの試合巧者ぶりは相変わらずである。
野口二郎は2安打1四球4三振で今季5度目の完封、ハーラートップの神田武夫に並ぶ13勝目をマークする。野口は5月24日の名古屋戦で延長28回を完封して以来の登板であるが、記録上は連投となる。昭和14年以降、1シーズン制が導入されたが、実際はシーズンを春季、夏季、秋季に分けてそれぞれ優勝と首位打者を表彰している。但し三シーズン制ではないので記録はシーズン通算となる。すなわち、野口二郎は5月24日と6月13日に連投したのである。実際は、5月23日の朝日戦で1安打完封して24日の名古屋戦で延長28回を投げているが、24日は変則ダブルヘッダーで大洋は第一試合の巨人戦で三富恒雄が完封しており、野口二郎は2日連続登板で延長28回を投げたのだが記録上は連投ではない。
決勝の2点タイムリーを放った村松長太郎は昭和12年のセンバツ決勝で浪華商業のエースとして中京商業のエース野口二郎と投げ合い、2対0で勝利してセンバツ優勝投手となっている。野口二郎が甲子園で喫した敗戦はこの1試合だけである。
*昭和17年夏季シーズンは快晴の函館で開幕した。「野球界」には函館市設球場と書かれている。
*野口二郎は今季5度目の完封で13勝目をマークした。
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