2010年5月28日金曜日

12年春 阪急vs大東京 3回戦

5月15日(土)上井草


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 2 0 0 0 2 1 0 8 阪急   13勝9敗    0.591 中田武夫
1 0 0 0 0 0 2 0 0 3 大東京 7勝14敗1分 0.333 大友一明-近藤久


勝利投手 中田武夫 3勝1敗
敗戦投手 近藤久  4勝8敗


二塁打 (阪)宇野


ジミー堀尾、ナイスカバー


 阪急は初回、西村正夫四球、川村徳久三失から上田藤夫が送って一死二三塁、山下好一四球で一死満塁、ここから山田伝、宇野錦次が連続押出し四球を選んで2点、倉本信護の三ゴロで1点追加、結局無安打で3点を先制。大東京は初回、坪内道則、鬼頭数雄が連続四球、水谷則一の二ゴロは6-4-3と転送されるがショート上田の一塁送球が悪送球となる間に坪内道則が還りこちらも無安打で1点を返す。

 阪急は3回、一死後倉本四球、林信一郎右前打、中田武夫四球で一死満塁、ここで大友一明が退き近藤久がリリーフへ、西村左犠飛、上田三遊間タイムリーで2点を追加して5-1。6回まで中田、近藤の投げ合いが続くが阪急は7回、川村、山下好四球の二死一二塁でフランク山田伝に代わり代打ジミー堀尾文人が登場、堀尾は中前にタイムリーを放ち6-1、宇野錦次も左翼線にタイムリー二塁打で続き7-1とリードを広げる。

 大東京は7回、この回先頭の煤孫伝の当りは三ゴロ、これをサード川村がエラー、続く成瀬芳輝の当りは遊ゴロ、ショート上田のセカンド送球は悪送球となり無死一三塁。せっかくリードを広げたにもかかわらずこの守備はいただけない。成瀬二盗を決めて無死二三塁、続く藤浪光雄の当りはショートゴロ、あまり出場経験のない二走成瀬は打球につられて三塁へ走る、ショート上田からサード川村へ送球、成瀬は二三塁間に挟まれ二塁へ戻る、追う川村からセカンド宇野に送球、成瀬は再度三塁へ走る、サードベースカバーには何とショートゴロのバックアップに前進してきたレフトのジミー堀尾がそのままの勢いで三塁ベースカバーに走り三塁ベース上に仁王立ち、宇野からジミー堀尾に白球が渡り成瀬はタッチアウト。スコアブックには【6・5・4・7C】と記載されている。本来ならサードベースカバーにはショートの上田かピッチャーの中田が入るべきところ、上田はジミー堀尾の仲介でハワイ野球チームから阪急に入団しただけにここはジミーに華を持たせたか。いかにも好漢ジミー堀尾文人らしいプレーぶりである。スタンドからも「ジミー、ナイスカバー」の声が飛んだか。この間に煤孫が還って7-2、更に近藤のタイムリーで7-3。

 阪急は8回にも四球とエラーで無安打で1点を加えて8-3で快勝、大東京2投手は14四球と大乱調。一方中田武夫は3点を許すも大東京打線を近藤のヒット1本に抑える快投で3勝目をあげる。

 ジミー堀尾は体調を崩しておりなかなか試合には出られないが、山下実の欠場が続き宮武三郎も常時出場できる状態になく、ジミーの元気な姿を待ち望むファンも多い。

*写真は昭和10年ジャイアンツ第1回アメリカ遠征時のジミー堀尾のサイン。堀尾はベーブ・ルース等と対戦した昭和9年全日本チームに参加しており、第1回アメリカ遠征には東京ジャイアンツの一員として参加しています。堀尾は遠征終了後一人帰国せずにウエストコーストに残りメジャー・リーグ昇格を狙いますが、結局メジャーからは声が掛からず日本で職業野球入りし、阪急に入団します。



*下がジミー堀尾がレフトから三塁ベースカバーに駆けつけタッチアウトしたシーン。私は学生時代、高校・大学で通算6年間外野手(高3の一年間だけキャッチャー)をやっており、ランダンプレーへの参加を何度か試みましたが一度も実現しませんでした。これをやるには参加してやろうという意欲と脚力が必要ですが、私には意欲はありましたが脚力が不足しておりました。

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