2010年5月20日木曜日

12年春 金鯱vs大東京 3回戦


5月8日(土)上井草


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 2 0 0 0 1  3 金鯱   6勝12敗    0.333 古谷倉之助-中山正嘉
0 0 0 0 0 2 0 0 2X 4 大東京 7勝10敗1分 0.412 近藤久-桜井七之助


勝利投手 近藤久   4勝5敗
敗戦投手 中山正嘉 3勝4敗


二塁打 (金)黒澤 
三塁打 (大)近藤2、大友、鬼頭


近藤久投打に活躍、サヨナラを呼び込む


 大東京先発の近藤久は3回まで3人づつで抑える好投、奪三振こそないもののコーナーをつく丁寧なピッチング。一方金鯱先発の古谷倉之助は毎回走者を背負いながらも切り抜け、前半は両軍無得点。

 ゲームが動いたの5回金鯱の攻撃、一死後三上良夫が中前打、瀬井清四球で一死一二塁、キャッチャー藤浪光雄が2連続捕逸を犯し1点先制してなお一死三塁、相原輝夫四球で一死一三塁、ここで相原がディレードスチール、近藤からセカンド中村三郎に送球され相原は挟まれランダンプレーに、中村からの送球をファースト浅原直人が落球して三走瀬井がホームに還り2-0とリードする。
 大東京は6回、浅原に代わり煤孫伝を代打に起用、煤孫は5月1日の対名古屋3回戦に9回表のファースト守備のみでデビューを果たしているが、これが職業野球入り初打席。珍名ランキング第1位の煤孫は期待に応えて右前にクリーンヒット、しかし藤浪の三ゴロでゲッツー、チャンスは潰えたかに見えたが筒井隆雄、代打大友一明連続四球で二死一二塁、ここで金鯱ベンチは古谷から中山正嘉にスイッチ、しかし近藤久が中越えにこの日二本目の三塁打を放ち2-2の同点に追い付く。

 金鯱は9回、この回先頭の黒澤俊夫が左翼線に二塁打、中山が送り一死一三塁、三上の一ゴロの間に黒澤がホームを陥れて3-2とリード。なおも瀬井四球、相原右前打と続いたところで、ここまでよく投げた近藤久は桜井七之助と交代、桜井は江口を遊ゴロに仕留め9回裏へ。

 大東京は9回裏、この回先頭の大友が中越え三塁打を放ち無死三塁と同点のチャンス到来。桜井は三振に倒れ一死三塁、トップに返り鬼頭数雄の一打はセンターの頭上を越える。大友ゆっくりと生還して3-3と同点、なおも一死三塁と今度はサヨナラのチャンス到来。坪内のカウントワンストライクワンボールからの第三球目に三走鬼頭がスタート、しかし坪内はボールを見送る、スクイズサイン見落としか、キャッチャー相原は鬼頭を刺さんとサードの瀬井に送球、しかし瀬井はスクイズを警戒して前進していたため鬼頭は瀬井のタッチをかいくぐり三塁ベースめがけて疾走、ところが勘のいいショート濃人渉がサードベースカバーに入っており瀬井は濃人に送球する。しかしこれが悪送球となり白球が外野を転々とする間に鬼頭がホームベースを駆け抜け大東京のサヨナラ勝利となる(このサヨナラシーンはスコアブックには(2)5'-6(「捕手発のプレーで三塁手が遊撃手に悪送球する」を意味する)と記載されているだけでここまでの内容を読み取るのは不可能です。翌日の読売新聞の記事を参考にさせていただきました。)。

 瀬井清にサヨナラエラーが記録されたが、濃人渉の動きが良すぎたがための悪送球とも言える。これから33年後、1970年に濃人渉はロッテオリオンズを率いてパ・リーグを制することとなる。当ブログのこれまでの登場人物で、戦後監督を務めてリーグ優勝を成し遂げた人物は、三原脩、水原茂を除くと濃人渉だけである。いかにも策士という面構えであったが、その策士ぶりは本日の動きにもうかがわれる。なお、1970年の日本シリーズ第1戦で巨人の堀内がロッテの主砲アルトマンを4打席連続敬遠するという卑怯極まりない手に出たことが、私のアンチ巨人を決定づけました。


 近藤久は9回2死で降板しており、現行ルールでは一人だけを抑えた桜井七之助が勝利投手となるが、公式記録では近藤久が勝利投手となっている。本日のケースでは誰が見ても当時の記録員の判断が正しく、現行ルールは形式的にしか見えない。

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