実況でお伝えした通り、昭和21年9月7日、後楽園球場の第1試合中部日本vsゴールドスター戦で、杉浦清の成績は以下のとおり。
第1打席:レフトへの本塁打
第2打席:四球
第3打席:三塁線にシングルヒット
第4打席:三振
第5打席:左中間に三塁打
第6打席:センターオーバーの三塁打
9回表の先頭打者として第5打席で左中間に三塁打を放ち、12対0となって打者一巡で回ってきた第6打席の当りはセンターをオーバー、ここで二塁に止まっていれば「日本プロ野球史上初のサイクルヒット」が記録されるところであったが、生真面目な杉浦清は三塁まで走ってしまった。
この結果、「日本プロ野球史上初のサイクルヒット」は2年後の昭和23年10月2日に藤村冨美男が記録することとなった。尤も、この当時の日本では「サイクルヒット」の概念はなく、昭和40年7月16日にスペンサーが「サイクルヒット」を記録した際に、スペンサーから「これはサイクルヒットである」と聞かされて初めてその事実を知り、過去の記録を調べ直して藤村冨美男が昭和23年10月2日に達成していたことが判明した。
昭和21年9月7日の時点で「サイクルヒット」の概念があれば、杉浦清はセンターオーバーの当りで二塁にストップして三塁まで走らなかったかもしれない。12対0の場面なので二塁で止まっても三塁まで進んでも勝敗には関係なく、「敗退行為」には該当しない。
同様のケースとして、昭和15年5月24日の巨人vsセネタース戦で中島治康が
第1打席:サードゴロ
第2打席:レフトへの本塁打
第3打席:ライトに二塁打
第4打席:右中間に三塁打
第5打席:右中間に二塁打
を記録して「日本プロ野球史上初のサイクルヒット」を逃したことが知られている。
0 件のコメント:
コメントを投稿