0 1 1 0 0 0 0 0 0 2 タ軍 45勝27敗 0.625 御園生崇男
1 0 0 3 0 0 0 0 X 4 巨人 45勝27敗2分 0.625 藤本英雄
勝利投手 藤本英雄 11勝3敗
敗戦投手 御園生崇男 6勝4敗
二塁打 (タ)金田、長谷川 (巨)川上、黒沢
三塁打 (タ)藤村 (巨)中島
勝利打点 (巨)中島治康 3
タ軍と巨人同率二位
西宮の第1試合の終了時刻は午後1時26分、3時間24分のインターバルの後、第2試合は御園生崇男と藤本英雄の先発で午後4時50分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。
巨人は初回、一死後山川の当りは遊ゴロ、これをショート長谷川善三が一塁に悪送球、二死後川上の中越えタイムリー二塁打で1点を先制する。
タ軍は2回表、先頭の御園生が右前打で出塁、続く高山泰夫が三振に倒れると御園生が二盗に成功、宮崎剛の二ゴロが進塁打となって二死三塁、初回に失点のきっかけとなるエラーを犯した長谷川が中越えに汚名挽回のタイムリー二塁打を放ち1-1の同点とする。
タ軍は3回表、二死後藤村冨美男監督が左中間に三塁打、御園生の中前タイムリーで2-1と逆転に成功する。
巨人は4回裏、先頭の千葉の当りは二ゴロ、これをセカンド宮崎がエラー、川上は中飛に倒れるが、黒沢の中越え二塁打で一死二三塁、中島治康監督の右中間2点タイムリー三塁打で3-2と逆転、多田の遊ゴロで三走中島がホームに突っ込むがショート長谷川のバックホームにタッチアウト、呉新亨が左前打を放って二死一二塁、藤本が左前にタイムリーを放ち4-2とする。
藤本英雄は12安打を浴びながら3四球5三振で完投、11勝目をマークする。
タ軍は11残塁の拙攻で破れて巨人と同率二位となった。首位は1ゲーム差でグ軍が返り咲く。
日曜日のこの日、西宮球場には28,149人の観衆が訪れた。7月7日(日)の西宮の21,567人を抜く大レコードとなったのである。戦前のスコアカードには一部を除いてほとんど観客数の記載がなく、昭和17年に山内以九士が公式記録員に採用されて関西の試合を担当することになってから関西の試合で観客数が記載されるようになった。昭和17年8月2日(日)の西宮球場が約20,000人の観衆であり、これが戦前最高記録ではないかと考えられるが、日本野球連盟発行「昭和21年度日本野球年報」には7月7日について「西宮では21,567人の観衆を集めて本年の記録を作った」と書かれており、戦前にそれ以上の記録があったかのような表現となっている。昭和18年の最高記録は1万人超程度であり、昭和19年は1万人未満となるが、太平洋戦争開戦前に最高記録があった可能性は否定できない。スコアカードを見る限り、未確認である。
この日これだけの観衆を集めた要因は西宮に上位4球団が集結して、グ軍、タ軍、巨人による首位攻防戦が見られたことによるが、9月15日に国鉄のゼネストが予定されており(実際は中止になった)、9月12日から始まる第21節は関西での試合がなく後楽園だけで開催される日程となっていたことも大きな要因であったと考えられる。
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