7月19日 (金) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 2 0 0 0 0 3 タ軍 29勝16敗 0.644 呉昌征
0 0 0 1 1 0 0 0 0 2 阪急 28勝21敗 0.571 野口二郎
勝利投手 呉昌征 10勝2敗
敗戦投手 野口二郎 7勝7敗
二塁打 (タ)藤村、長谷川
三塁打 (タ)御園生 (急)坂井
勝利打点 (タ)呉昌征 2
呉昌征、粘りの投球で10勝目
西宮の第2試合は呉昌征と野口二郎の先発で午後3時5分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。
阪急は青田昇が7月7日以来の復帰で三番ライトに入る。打撃不振の阪急だけにカンフル剤となるか注目される。
タ軍は初回、一死後土井垣の当りは遊ゴロ、これをショート坂井豊司がエラー、藤村冨美男監督が中越えにタイムリー二塁打を放ち1点を先制する。
阪急は4回裏、先頭の青田が2打席目で復帰後初ヒット、四番ピッチャー野口二郎の遊ゴロの間に青田は二進、野口明はストレートの四球、日比野は中飛に二死一二塁、下社が中前に同点タイムリーを放ち1-1と追い付く。
タ軍は5回表、一死後乾国雄がレフト線にヒット、長谷川善三もレフト線に二塁打を放って一死二三塁、ここで呉昌征が中前に勝越しの2点タイムリーを放ち3-1とリードする。
阪急は5回裏、初回に手痛いエラーを犯した坂井が左中間に三塁打を放って無死三塁、トップに返り上田の左犠飛で2-3と1点差に詰め寄る。
タ軍は6回表、一死後本堂が四球で出塁、渡辺誠太郎の中前打で一死一二塁、しかし御園生の投飛に二走本堂が飛び出しおりダブルプレー。
阪急は6回裏、先頭の野口二郎が二塁に内野安打、セカンド乾の一塁悪送球が加わり野口二郎は二塁に進み、野口明のニゴロが進塁打となって一死三塁、しかし日比野の当りはショートライナー、下社も遊ゴロに倒れて無得点。
タ軍は7回表、先頭の乾が三塁に内野安打、しかし長谷川の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー、呉昌征も中飛に倒れて無得点。
阪急は7回、8回とヒットの走者を出すが無得点。
タ軍は9回表、二死後御園生が中越えに三塁打を放って追加点のチャンスを作るが、今日2安打の乾が遊ゴロに倒れて無得点。
阪急は最終回、先頭の下社が右前打で出塁すると代走に西村正夫監督を起用、荒木茂に代わる代打坂田清春は捕邪飛に倒れて一死一塁、スコアカードに「バント」の記載は無いがこれは送りバント失敗か、続く坂井のカウントツーボールワンストライクの場面で西村が二盗に成功、投球は外れてスリーボールワンストライク、次の球もボールで一死一二塁、坂井は三塁打を含めてこの日2安打と当たっており逆転のランナーとはなるがここは敬遠か、トップに返り上田の当りは三ゴロ、サード藤村がベースを踏んでから一塁に送球するが、ゲッツーを焦ったかこれが悪送球となって一走坂井は三塁に、打者走者の上田は二塁に進んで二死二三塁、タ軍としては嫌な感じとなったが、呉昌征が山田伝を左飛に打ち取りタ軍が接戦をものにする。
呉昌征は9安打2四球3三振で完投、再三走者を背負いながら粘りの投球で10勝目をマークする。
タ軍はこれで12連勝、この試合の13分後に始まった後楽園の巨人vs中部戦は中部リードで終盤を迎えており、そのまま中部が逃げ切れば首位交代となる。中継を後楽園に切り替える。
この試合の9回裏、阪急の西村監督が盗塁した場面ですが、実は乱闘事件がおこっています。
返信削除野球ファン昭和21年7月27日号の記事を要約すると、
代打坂田のバント邪飛後、代走西村は二盗に成功しましたが、この時に捕手からの送球を阪神の乾二塁手が逸してボールは中堅方向へ。当然、三塁へ進もうとスライディングの恰好から立ち上がろうとしたものの、乾が両脚にのしかかったまま離れず、頭にきた西村が殴りつけてそのまま取っ組みあいに。今度はそれを見た1人のファンが西村を加勢しようとスタンドから飛び出す大騒ぎ。
試合終了後に審判団は阪急の村上代表へ警告、西村は陳謝し「乾君が私の両膝にのっかかって脚を掴んで動かせなかった。のけてくれといったが動きそうにないのでついカッとなって殴ったが、誰にも見れぬよう上手に掴まれて弱った」と話していたそうです。
この第13節だけ東京から応援に来ていた島審判は「西宮はひどいところだ、早く東京へ帰りたい」とこぼしていたとか。
ご教示ありがとうございます。
削除「雑記」欄には何も書かれていませんが、「日本野球年鑑」には「最終回代走に出た監督西村が乾と口論したほど、この試合は身が入っていた」と書かれています。平日としては最高の観客を集めた熱気が呼んだ乱闘だったかもしれません。
ところで、「野球ファン」は戦前から刊行されていたかどうか分かりますか?
戦前に大阪の野球ファン社から刊行されていた野球ファンと、参考記事に用いた神戸のスポーツファン社の野球ファンの関連性は不明ですね。ただ両誌とも週刊誌の体(てい)をとっています。
削除また戦後の同時期、神奈川にも同名の野球ファン社から野球ファンという月刊誌が刊行されていました。
確かベースボールマガジン(月刊誌から今の季刊誌になったほう)に石崎龍が戦後1リーグ時代の関西に於る野球雑誌事情について書いた記事があったと思うので探してみます。
ありがとうございます。
削除まだ詳細は言えないのですが、ちょっと調べたいことがありまして・・・。
野球殿堂博物館は再開したのですが、まだ図書室が使えないので困っています。