2017年12月25日月曜日

藤本英雄がスタメンセカンド


 昭和18年11月3日、藤本英雄がスタメンセカンドに入った背景について考察してみましょう。

 同年10月21日、明治神宮外苑競技場で「出陣学徒壮行会」が挙行されました。

 2017年8月12日にNHK総合で放映された野口4兄弟を描いたドラマ「1942年のプレイボール」制作過程において、当ブログが「資料提供者」として協力させていただいたことは既報のとおりです。

 NHK取材陣は、当ドラマ制作に当たって、現在も生存されている古川清蔵氏へのインタビューに成功しました。2014年のプロ野球80周年当時、野球殿堂博物館の関係者が古川氏へのインタビューを試みましたが断られたという経緯があります。こちらも野球殿堂博物館関係者から直接聞かせていただいた事実です。

 NHKのOB記者の方が古川氏と旧知の間柄だったことから、古川氏はNHKの取材を受諾されました。その中で、古川氏も当時大学に籍を置いていたことから「出陣学徒壮行会」に参加され、直後に鹿児島に帰って徴兵検査を受検したと明かされました。古川清蔵は、10月27日の阪急戦まで出場していますが、10月30日の阪神戦よりグラウンドから姿を消し、11月6日の阪神戦と7日のシーズン最終戦となる西鉄戦に復帰して出場します。

 徴兵検査に赴く直前、古川清蔵の成績は、10月24日の阪急戦は3打数無安打、26日の南海戦も3打数無安打、27日の阪急戦は5打数無安打。ところが、復帰後の11月6日の阪神戦では4打数1安打二塁打1本で勝利打点を記録、11月7日の西鉄戦では5打数3安打2盗塁を記録して戦場に旅立ちました。徴兵検査を受検してふっきれたのでしょうか。

 巨人の三塁手小池繁雄も10月19日の大和戦までは出場していますが、「出陣学徒壮行会」直後の10月23日から姿を消し、4試合を欠場して復帰した10月31日の名古屋戦で満塁走者一掃の三塁打を放ち戦場に旅立ちました。

 巨人の二塁手坂本茂も10月30日の阪急戦を最後にグラウンドから姿を消し、11月3日には藤本英雄がスタメンセカンドに名を連ねる事態となったのです。

 古川清蔵は1922年3月生れ、小池繁雄は1922年8月生れ、坂本茂は1921年4月生れの同年代となります。

 

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