宮川(村上)孝雄氏の訃報が伝わっています。
筆者が広島ファンになったのは西鉄が消滅した1973年からでした。宮川の全盛期は1972年までの10年間ですから詳しくは見ていません。
当時「代打の切り札」と言えば南海の青野と広島の宮川でした。阪急の高井が出てくるのはこの後のことです。
代打で成功する条件は「集中力」にあります。三原脩著「勝つ 戦いにおける‟ツキ”と‟ヨミ”の研究」によると、大洋に移った昭和35年、近鉄でくすぶっていた鈴木武を引っ張ってきてショートに使って大成功した際、前年までショートのレギュラーだった麻生実男が打撃練習で初球を快打するのを見て、「これは代打で使える」と見抜いて「代打の切り札」として大洋初優勝に貢献させました。
宮川はその集中力を養うために「1日千本」の素振りを欠かさなかったということです。
筆者も「還暦野球リーグ戦」参入を目指して素振りを開始しました。振っているバットは「ジュン・イシイ」の圧縮バットですよ(笑)。
心よりお悔やみ申し上げます。
*広島60周年記念「宮川孝雄」。
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