2015年3月17日火曜日

17年 名古屋vs黒鷲 6回戦


6月28日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋 11勝31敗1分 0.262 石丸進一 河村章
0 0 0 1 0 0 0 0 X 1 黒鷲      9勝31敗2分 0.225 畑福俊英

勝利投手 畑福俊英 1勝3敗
敗戦投手 石丸進一 5勝8敗

三塁打 (名)吉田

勝利打点 木下政文 3


畑福俊英、冴えるナックル

 現在9連敗中の名古屋と昨日11連敗を免れた黒鷲との一戦は小雨模様の中、名古屋は石丸進一、黒鷲は畑福俊英の先発で午後1時4分、池田豊主審の右手が上がりプレイボール。

 3回まで無安打の黒鷲は4回、先頭の富松信彦が左前打で出塁、この日四番に入った鈴木秀雄が送りバントを決めて一死二塁、木下政文が左前にタイムリーを放って1点を先制する。続く玉腰忠義のカウントがツーボールナッシングとなったところで石丸進一は降板、二番手の河村章もボールを2つ続けて玉腰は四球、この場合の与四球は石丸進一に記録される。一死一二塁から杉江文二は中飛、木村孝平は遊ゴロに倒れて追加点はならず。

 河村はこの後、8回まで黒鷲打線を無得点に抑えた。

 黒鷲先発の畑福俊英は初回、先頭の木村進一に四球を与えるが岩本章を三振、桝嘉一の二ゴロで木村進一を二封、飯塚誠の打席で桝が二盗を試みるがキャッチャー木下が鮮やかな送球を見せてタッチアウト。2回も打ち直しの先頭飯塚に四球を与えるが、吉田猪佐喜の遊ゴロで飯塚を二封、古川清蔵の遊ゴロで吉田を二封、石丸藤吉の遊ゴロで古川を二封してスリーアウトチェンジ。

 4回、先頭の岩本に一塁への内野安打を許し、桝に送られて一死二塁、飯塚に四球を与えて一死一二塁、ここで吉田を又も遊ゴロに打ち取り今度は「6-4-3」と転送されてダブルプレーでピンチを切り抜ける。7回にも一死後吉田に右中間三塁打を打たれてピンチを迎えるが、古川を遊飛、石丸藤吉もサードライナーに打ち取り無失点。


 結局、畑福は3安打4四球2三振の完封で今季初勝利をあげた。2回に記録した三者連続「6-4B」は、筆者の記憶ではプロ野球史上初、史上唯一の記録である可能性を残す。この記録は偶然生まれたものではない。畑福は専修大学時代は剛球投手として鳴らしたが、大酒と兵役により既に肩はボロボロ、昨年戦場から復帰していきなり7勝をマークしたが技巧派に変身している。ナックル・ボールを駆使して打ち取るピッチングスタイルが「三者連続6-4B」の記録をもたらしたものである。


 畑福がナックルを投げていたか否か。答えは「イエス!」です。畑福が戦場から帰還した昭和16年6月22日付け読売新聞には、6月21日の阪急戦に登板した畑福俊英について「5月18日に帰還した畑福は未だ1ヶ月足らずの日子を過したばかりであるのに黒鷲投手不足の悲境に自ら投手を買って出た事が既に悲壮の意気であるが、彼はチェンジ・オブ・ペースの武器を基本にして剛速球に、ドロップに、さてはナックル・ボールに縦横無蓋の怪腕を揮って阪急軍の強打をよく防いだのは目覚ましかった」と書かれています。この時の黒鷲は、エースの亀田忠と長谷川重一が風雲急を告げる戦況にアメリカへの帰国を余儀なくされ、投手不足に陥っていました。






*ナックル・ボールが冴えた畑福俊英は3安打完封で今季初勝利を飾る。














 

2 件のコメント:

  1. 畑福俊英のナックルボールについては、巨人時代にバッテリーを組んだことがある内堀保も証言しています。
    熱狂的イーグルスファンだった山内吉雄医師によりますと、畑福の右腕は酷使の影響か、歪曲しており、130度ぐらい曲っていたそうです。逆にこの故障のおかげでカーブが良くなったともいわれていますが・・・。

    http://baseballgleaning.blog.fc2.com/

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  2. 肘が弯曲してスライダーの曲りが大きくなり、南海移籍後に20勝投手に成長した山内新一のようですね。
    松坂大輔の場合はただ肘が下がっただけで球威がなくなっただけのようですが。

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