2015年3月22日日曜日

44年ぶり



 木更津総合がセンバツで44年ぶりの勝利を記録しました。


 44年前は「木更津中央高校」でした。銚子商業と習志野が覇権を争っていた当時の千葉県では、両校以外に甲子園に行けるのは千葉商業くらいで、木更津中央が1971年のセンバツに初出場した時は「え~、木更津中央なんかで大丈夫なの~?」と思ったのは事実です。ところが・・・

 1回戦は四国の強豪高知高校に4対0で快勝。「黒潮打線」の起源は銚子商業か、高知高校・高知商業かの議論は、千葉県民と高知県民の間では永遠のテーマです。2回戦は県岐阜商業に3対2で競り勝ちます。県岐阜商業は2015年のセンバツでは優勝候補ですね。両校が勝ち進めば決勝で当たることとなります。準々決勝では強豪東邦に2対1で競り勝ちました。銚子商業、習志野でもベスト4まで進むことは稀でした。木更津中央の快進撃に心躍らせたものです。準決勝で大鉄に4対2で敗れました。


 この大会で優勝したのは決勝で大鉄を破った日大三高でした。吉沢(後に阪急)と待井(後に太平洋)はまだ2年生でした。日大三高は夏の東京予選では保坂(後に東映)を擁する日大一高に敗れましたが、翌72年のセンバツに2年連続出場、決勝に進んで二連覇を狙いましたが仲根(後に近鉄)を擁する日大桜ヶ丘に敗れました。日大勢が全盛期の頃の物語です。


 木更津中央出身の代表格は古屋英夫となります。亜大経由で日ハム入りした古屋はゴールデングラブ賞4回の守備の名手として知られていますが、木更津中央時代はエースで四番の強打者でした。昭和48年に日米親善高校野球大会が行われてハワイ選抜チームと千葉県選抜チームが対戦しましたが、三番が掛布(習志野、後に阪神)で四番は古屋した。この試合の先発投手は小見川の黒須清志。筆者の評価では、黒須は千葉県高校野球史上鈴木孝政に次ぐ投手であったと考えています。古屋はクローザーとして登板して千葉県選抜がハワイ選抜を破っています。


 帝京高校の前田監督も木更津中央出身です。与田もOBですが高校時代は全く知りませんでした。木更津中央出身のプロ野球選手としては、宇佐美和雄を忘れることができません。1968年ドラフトでは西鉄の1位指名が東尾、2位指名が左腕の乗替(福井県・若狭高校出身、川藤幸三の1年後輩)、宇佐美が3位指名でした。翌春の練習中、打撃投手を務めていた宇佐美は打球を胸に受けて急死しました。当時の新聞記事で、打球をガードするネットの上部の金属部分をかすったため避けられなかったと読んだ記憶があります。


 本日の岡山理大付属戦でホームランを放った檜村は1年夏からレギュラーとして活躍していました。大柄なショートで打撃もよく、千葉では評判の選手でした。守備が評価されてドラフト候補のようです。




*古屋の直筆サインカードは持っていませんので、79年山勝をアップします。ここまで保存状態のいい山勝は珍しいでしょう。





 

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