2015年3月14日土曜日

前年優勝校と前々年優勝校が激突



 センバツの組合せが発表されました。いくつかの注目カードの中でも屈指の好カードは前年センバツ優勝の平安と前々年センバツ優勝の浦和学院との対戦でしょう。前年優勝校と前々年優勝校が甲子園で激突する可能性は十分にあります。むしろ強豪校同士が全国大会で対戦するのは当たり前のことと言えそうですが、前年優勝校と前々年優勝校が対戦するのは昭和12年センバツで昭和11年優勝の愛知商業と昭和10年優勝の岐阜商業が対戦して以来のこととのことです。


 昭和51年、夏の千葉県予選準決勝で、前年昭和50年全国優勝の習志野と前々年昭和49年全国優勝の銚子商業が激突しました。「世紀の一戦」と言われたこの試合は、千葉県高校野球の聖地・天台球場が満員札止めとなる熱気の中、千葉県高校野球史に残る名勝負となり、斉藤一之監督の息子俊之のサヨナラホームランで銚子商業が前年の雪辱を果たしたのです。甲子園で優勝するより千葉県代表になる方が難しいと言われた頃の話です。


 昭和49年の銚子商業はエース土屋(後に中日)、2年生の篠塚(後に巨人)を擁して全国制覇、昭和50年の習志野はエース小川(後にヤクルト監督)を擁して全国制覇を果たしました。昭和51年の銚子商業はショートに宇野(後に中日)、センターに尾上(後に中日)を擁して習志野を撃破し甲子園に出場、千葉県三連覇を狙って準々決勝に進出しましたが優勝した桜美林に敗れて野望は潰えました。習志野は市立、銚子商業は県立で、メンバーの大半は地元の生徒でした。関西を中心に野球専門私立高校が台頭してきましたが、公立高校の牙城を、我が千葉県高校野球界が守り抜いていたのです。



*昭和50年、第57回全国高等学校野球選手権大会・千葉大会のパンフレット。







*習志野のエースは小川淳司(後のヤクルト監督)、2年生のショート下山田は甲子園決勝でサヨナラ打を放ちました。ほぼ全員が習志野近辺の中学卒業です。






*銚子商業のキャプテンは銚子商業野球部史上最高の秀才と言われる前嶋(一浪後慶大)、セカンドは「銚子商業野球部ノート」を刊行した2年生の平野(後に住金鹿島監督)、サードは篠塚(後に巨人)、ショートは宇野(後に中日)と銚子商業野球部史上最強の内野陣、1年生の控えに尾上(後に中日)と斉藤junior(斉藤監督の息子)。2年生の佐藤、一谷の両エースを擁し、習志野に勝っていれば間違いなく甲子園連覇を果たしていました。甲子園で優勝するより千葉県代表になる方が難しいと言われていた時代です。習志野同様、大半が地元の中学を卒業しています。






*平野和男著「銚子商野球部ノート」。




*平野は昭和51年のキャプテンでした。篠塚の世代のキャプテンは前嶋、宇野の世代のキャプテンは平野、尾上の世代のキャプテンは斉藤俊之と、銚子商業は3年連続プロ野球選手を輩出しましたが3人ともキャプテンにはなれなかった程の選手層の厚さを誇っていたのです。






 

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