西武の秋山翔吾が31試合連続ヒットを達成して野口二郎の記録に並びました。この快挙を記念して、昭和21年に野口二郎が記録した31試合連続ヒットを検証してみます。
野口二郎の記録は達成当時認識されておらず、後に調べ直して判明したことで知られています。その理由について、「Wikipedia」には「これは野口が野手ではなく、投手だったために試合出場が飛び飛びであった事が理由で見落とされ」と書かれています。これが全くの事実誤認であることから話を進めていきましょう。
野口二郎は8月29日~10月26日に阪急が戦った全31試合に出場して連続ヒット記録を達成しています。この時点で「試合出場が飛び飛びであった」は事実誤認であることが分かります。これはスコアカードから検証しなくても、「日本プロ野球私的統計研究会」の「スタメンアーカイブ」を見ていただくだけでも分かることです。1946年のこの時期、野口二郎は阪急の四番又は三番として全試合に先発出場しています。守備位置は主にライトでピッチャーもやっており、1試合だけ試合途中でファーストに入っています。
この間、ピッチャーとしての先発は7試合で、リリーフでも6試合に登板しており、82回3分の2を投げて82安打20四球12三振30失点、自責点24。ピッチャーとしては戦前よりも衰えていることが分かります。
打撃の方ですが、131打数48安打、打率3割6分6厘。20得点15打点、二塁打3本、三塁打3本。4四球しか記録していませんので積極的に打っていっていることが分かります。更に4盗塁も記録しており、足の方は衰えていないようです。
何故、「試合出場が飛び飛びであった」などと誤って伝わったしまったのか。投手を兼任しているのは事実ですが、31試合全てに四番、又は三番で出場していますので気が付かないとは考えられません。当時は、「連続試合ヒット」が意識されていなかったことが見つからなかった理由でしょう。「試合出場が飛び飛びであった」などという事実誤認は、後付の言い訳に過ぎません。
10月27日の32試合目は巨人の藤本英雄に抑え込まれて3打数無安打に終わったことはよく知らていますが、記録が始まる前については全く知られていませんので本邦初公開といきましょう。記録が始まる直前の8月26日はパシフィックとの11回戦、阪急打線は井筒研一に4安打完封されており、野口二郎は3打数無安打。第一打席は中飛、第二打席は捕飛、第三打席は三振、9回に第四打席が回ってくるチャンスがありましたが、一死一塁で三番吉田昇が二ゴロ併殺に倒れて試合終了、ここで四番野口二郎に回っていれば32試合連続ヒットになっていたかもしれません。その前の試合も3打数3安打でしたから、33試合連続ヒットの可能性も考えられます。