2011年3月7日月曜日

13年秋 ライオンvs阪急 1回戦

8月29日 (月) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
0 1 1 0 0 0 0 0  0   2 ライオン 1勝1敗 0.500 近藤久 菊矢吉男
0 1 0 0 1 0 0 0 1X  3 阪急       1勝0敗 1.000 小田野柏


勝利投手 小田野柏 1勝0敗
敗戦投手 菊矢吉男 1勝1敗


二塁打 (阪)上田、堀尾
三塁打 (ラ)大友
本塁打 (阪)堀尾 1号


ジミー堀尾文人、歴史的大ホームラン


 阪急は小田野柏の先発、一方ライオンは近藤久の先発で14時5分、プレートアンパイア島秀之助の右手が上がり試合開始を告げるサイレンが鳴り響く。

 ライオンは2回、一死後中村三郎が左前打で出塁、柳澤騰市の一二塁間のゴロが4-1Aと渡る間に中村は二進、ワイルドピッチで三進、中野隆雄四球後、原一朗の三塁内野安打で中村が還り1点を先制する。

 阪急は2回裏、二死後宇野錦次が四球で出塁、宇野は7月7日に甲種合格が新聞報道されているのでいずれ入営するであろう。大原敏夫の三ゴロをサード柳澤が一塁に悪送球して二死一二塁、小田野柏が中前に同点タイムリーを放って1-1に追い付く。

 ライオンは3回、先頭の坪内道則がショートへの内野安打で出塁、大友一明の投ゴロをピッチャー小田野柏は二塁ベースカバーに入ったショートの上田藤夫に投げるがこれが野選となり、上田が一塁に悪送球する間に坪内は三塁に進み無死一三塁、鬼頭数雄の左犠飛で2-1とリードする。

 阪急は5回、一死後ジミー堀尾文人がセンターオーバーの大ホームランを放って2-2とする。このホームランについては後述します。

 ライオンは6回から堀尾に大ホームランを打たれた近藤に代わり菊矢吉男がリリーフに登場。一方阪急先発の小田野柏は4回以降立ち直り4回~9回まで無安打ピッチングを続ける。

 阪急は9回裏、この回先頭の堀尾が左中間に二塁打、上田が進塁打となる二ゴロを打って一死三塁、続く宮武三郎は敬遠、代走に石田光彦が起用されて一死一三塁、キヨ野上清光がサヨナラスクイズを決めて阪急が開幕戦を制す。上田は3回の手痛いエラーを献身的進塁打により帳消しとした。この場面について翌日の読売新聞で宇野庄治記者は「満塁策を講ずることも一手であったろう」としている。このところ宇野記者と当ブログは西村幸生の見立てなどで波長が合っているのだが、当ブログの見解はコントロールに難のある菊矢吉男が満塁策をとるわけにはいかず勝負は致し方なかったと見る。

 小田野柏は4安打4四球0三振の完投で今季1勝目をあげる。

 5回のジミー堀尾文人の大ホームランであるが、翌日の読売新聞は「やや高めの速球を恰も待ちかまえた如くミートさせた堀尾の本塁打は中堅後方のスタンドに入る記録的長打となって満場を沸き立たせたがその恐るべき健棒は大いに賞されてよい。ラ軍は六回から待機の菊谷を繰り出し・・・」と伝えている。

 Wikipediaの堀尾の項にもこの歴史的大ホームランについて「センターオーバーのホームラン第一号ともいわれる。」と書かれているところまでは良いのですが、打ったピッチャーが菊矢吉男と誤って書かれています。事実はお伝えしたとおり近藤久から打ったものです。菊谷は読売新聞にも書かれているとおり6回から登板していますので打たれたくても5回には大ホームランを打たれることはできません。Wikipediaの編集者はせっかくこの歴史的大ホームランを伝えておきながら画竜点睛を欠いたものとなってしまいました(2011年3月6日現在)。
 尤もこれは「ベースボールの社会史」から丸写ししたからでしょう。同著は大変な力作で当ブログでも度々引用させていただいているので悪く言いたくはないのですが、ここに「菊谷から放った」と誤って書かれているのを丸写ししたことに起因していると思われます。最近の入試でもカンニングが発覚して世間を騒がせていますが、自分で調べて考える癖をつけるべきでしょう。



*堀尾の歴史的大ホームランを伝えるスコアブック



*近藤久は5回まで投げて堀尾に大ホームランを打たれた。被本塁打は近藤に記録されている。


2011年3月6日日曜日

13年秋 名古屋vs金鯱 1回戦

8月29日 (月) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 1 0 3 0 0 2 0 7 名古屋 1勝0敗 1.000 森井茂 繁里栄
0 0 1 2 3 0 0 0 0 6 金鯱     0勝1敗 0.000 中山正嘉


勝利投手 繁里栄     1勝0敗
敗戦投手 中山正嘉 0勝1敗


二塁打 (名)大沢 (金)佐々木、瀬井
本塁打 (名)鈴木 1号


二転三転のシーソーゲーム


 中京地区のライバル同士の闘いは火の出るような熱戦となった。

 名古屋は期待の高い松尾幸造、西沢道夫が共に怪我により出遅れ森井茂が先発。金鯱は鈴木鶴雄、江口行男を応召で失いセカンド五味芳夫、サードに岡野八郎、ショート瀬井清の布陣。

 名古屋は初回、プロ入り初出場となる一番セカンド戒能朶一(かいのう だいち)が四球で出塁してすかさず二盗に成功、鈴木秀雄は三振に倒れるが春季打率二位の桝嘉一が中前に弾き返して戒能を迎え入れて1点を先制、桝も二盗を決めるが大沢清、倉本信護は連続三振でチェンジ。

 名古屋は3回、二死後鈴木が右翼スタンドに叩き込んで2-0とする。因みに鈴木秀雄はスイッチヒッターですので中山正嘉に対しては左打席に入っています。阪急のジミー堀尾文人もスイッチヒッターでしたが日本に来てからは右打席でしか打っていないようなので、昭和13年当時の現役選手では鈴木だけの可能性があります。

 金鯱は3回裏、こちらも一番セカンドに起用された五味芳夫が三塁への内野安打で出塁、佐々木常助の遊ゴロをショート村瀬一三が二塁に送球するがこれが高く逸れて五味は三塁に進み無死一三塁、二塁はタイミング的にも間に合わずと判定されたようで村瀬にはエラーと共に野選も記録されているが、内野安打では無いとうことは一塁に投げていれば間に合っていたと判定されたようだ。瀬井が左中間に二塁打を放ち1-2としてなお無死二三塁、続く小林茂太の遊ゴロは一塁に送られてワンアウト、ところが二走瀬井が三塁に走ってしまった。ボールを捕球したファースト大沢清は瀬井を追いかけて三塁ベース上にランナーが二人となる。占有権は三走佐々木にあるが記録は「×3」で佐々木がツーアウト目の併殺となっている。「×3」は通常は「ファーストに刺殺が記録される守備妨害」を意味するが、このようなややこしいプレーの場合は違う意味で使われることもある。佐々木が塁を離れたところを大沢がタッチしたのではないか。読売の記述は「次の内野ゴロで瀬井は前走者を無視して三塁に驀進し併殺を喫した」となっているがスコアブックにはツーアウト目は佐々木に記録されている。雑記欄には佐々木のアウトは「瀬井の失走のためアウトとなる」と注書きがされている。古谷倉之助は中飛に倒れてチェンジ。

 金鯱は4回、この回先頭の中山が右前打で出るが松元三彦の三ゴロで5-4-3のゲッツー、しかし武笠茂男が四球で出塁、岡野のセンター右へのヒットで武笠は三塁に走り、センター石田政良のバックサードが悪送球となり武笠が還り2-2の同点として岡野も三塁に進み、トップに返り五味が左前にタイムリーを放って3-2と逆転。

 名古屋は5回、一死後石田が一塁への内野安打で出塁するが盗塁失敗で二死無走者、しかし戒能が四球で出塁、鈴木が一塁への内野安打、桝四球で二死満塁、ここで四番大沢清がセンター右奥に走者一掃の二塁打を放って5-3と再逆転。

 金鯱は5回裏、一死後小林茂、古谷が連続左翼線ヒット、中山の三ゴロでそれぞれ進塁して二死二三塁、松元が左翼線に2点タイムリーを放って5-5の同点、松元二盗、武笠四球後、岡野の中飛をセンター石田がエラーする間に松元が還りこの回3点をあげて6-5と再々逆転。

 名古屋は8回、この回先頭の倉本に代わって兵役から戻ってきた芳賀直一が代打で登場、芳賀は期待に応えて三塁に内野安打、代走に田中実が起用される。三浦敏一の左翼線ヒットで無死一二塁、村瀬の投前送りバントは1-5と送られて失敗、繁里栄の投飛も送りバント失敗かもしれない。ということで二死一二塁、ここで春季打率三位の石田が殊勲の同点タイムリーを右前に放って6-6として村瀬も三塁を陥れて二死一三塁、更に決死のダブルスチールを試みるとこれが大成功となり7-6と再々々逆転。

 5回途中からリリーフに出た繁里栄は4回3分の1を投げて無安打1四球3三振と快心のピッチングを見せて今季1勝目をあげる。翌日の読売新聞は「巨躯から射ち出す速球で金鯱打者を爾後無安打1四球に抑える会心の好投を果たした繁里こそ殊勲の第一であった。」と伝えている。

 初出場で一番を任された戒能朶一は無安打ながら二つの四球を選んでいずれも生還して2得点。九番の石田政良が三度の出塁でいずれも盗塁を試みて二度成功させており二番打者としての役目までこなしている。名古屋に恰好のリードオフマンが誕生したようだ。



       *瀬井清のボーンヘッドの場面




2011年3月5日土曜日

13年秋 ライオンvsセネタース 1回戦

8月27日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 1 0 2 0 0 0 4 ライオン     1勝0敗 1.000 菊矢吉男
1 0 0 2 0 0 0 0 0 3 セネタース 0勝1敗 0.000 村沢秀雄 浅岡三郎


勝利投手 菊矢吉男 1勝0敗
敗戦投手 浅岡三郎 0勝1敗


二塁打 (ラ)柳澤 (セ)尾茂田、佐藤


鬼頭数雄、決勝の逆転タイムリー


 ライオンは初回、坪内道則、大友一明が連続四球、鬼頭数雄の右前打で無死満塁、兵役から戻ってきた四番中村三郎の復帰初打席は三振、桜井七之助が押出し四球を選んで1点を先制する。
 セネタースは1回裏、一死後家村相太郎が四球で出塁して盗塁、二死後尾茂田叶が左中間に二塁打を放って1-1の同点とする。

 ライオンは4回、一死後柳澤騰市の捕ゴロをキャッチャー佐藤がエラー、ボークで佐藤は二進、トップに返り坪内は二飛に倒れるが大友がセンター右にタイムリーを放って2-1とする。

 セネタースは4回裏、この回先頭の尾茂田叶が右前打で出塁、横沢七郎の捕前送りバントをキャッチャー原一朗がエラーして無死一二塁、磯野政次の右邪飛で二走尾茂田は三進、青木幸造三振、佐藤のピッチャー強襲ヒットで尾茂田が還って2-2の同点、更にバックアップしたショート中野隆雄が一塁に悪送球する間に二走横沢も還って3-2と逆転に成功する。

 ライオンは6回、この回先頭の原が四球で出塁、続く中野のカウントがワンスリーとなったところでセネタースは先発の村沢秀雄に代えて浅岡三郎を投入する。中野は結局ツースリーから四球を選び無死一二塁、与四球は村沢に記録される。更に柳澤の三前バントが内野安打となって無死満塁、浅岡は坪内を二飛、大友を遊飛に打ちり二死満塁となるが、鬼頭が右翼線に逆転タイムリーを放って4-3とする。

 菊矢吉男は5回以降を1安打に抑えて結局、5安打3四球6三振の粘りのピッチングを見せて今季1勝目をあげる。決勝の4点目のホームを踏んだ中野隆雄の打席ではワンスリーで村沢から浅岡に交代して中野が四球で出塁しており、与四球は村沢秀雄に記録されるため4点目の自責点は村沢に記録されるので現行ルールでは村沢が敗戦投手となるが、公式記録では浅岡三郎に敗戦が記録されている。

 柳澤騰市が4打数3安打で一度の凡退も捕失となって塁に出てボークで進塁して生還しており、二本目の内野安打も鬼頭の逆転打を呼び込む貴重な一打となるなどラッキーボーイ的活躍であった。一方、セネタースはヒットを打ったのが4打数3安打の四番尾茂田叶と2打数2安打の八番佐藤武夫の二人だけでは得点は伸びない。

13年秋 南海vsジャイアンツ 1回戦

8月27日 (土) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 2 1 0 0 0 0 0 0 3 南海             0勝1敗 0.000 鈴木芳太郎
3 0 0 0 0 0 0 1 X 4 ジャイアンツ 1勝0敗 1.000 前川八郎 スタルヒン


勝利投手 スタルヒン     1勝0敗
敗戦投手 鈴木芳太郎  0勝1敗


二塁打 (南)中村 (ジ)伊藤


南海初登場


 今季から参入する南海は(六)小林悟楼、(四)西端利郎、(七)高野百合、(三)中村金次、(八)納家米吉、(五)平井猪三郎、(九)中野正雄、(二)中田道信、(一)鈴木芳太郎が記念すべき初のスターティングラインナップである。

 ジャイアンツは初回、南海の開幕投手となった鈴木芳太郎を攻めて一死後白石敏男が死球、三番サード千葉茂がショートへの内野安打、中島治康も二遊間に内野安打を放ち一死満塁、ここで伊藤健太郎が左中間に二塁打を放って2点を先制、夏の北海道遠征で永澤富士雄からレギュラーの座を奪い取った川上哲治が中犠飛を打ち上げて3-0とする。

 南海は2回、一死後中野正雄が右前打から盗塁、中田道信四球、鈴木芳太郎四球で一死満塁、トップに返り小林悟楼は一邪飛に倒れて二死満塁、ここで西端利郎が中前にクリーンヒットを放ち二者を迎え入れて2-3とする。南海の記念すべき初得点は西端利郎による2点タイムリーヒットであった。

 南海は3回、この回先頭の中村金次が右翼線に二塁打、納家米吉は三振に倒れるが、平井猪三郎の右前打で一死一三塁、中野の右犠飛で3-3の同点とする。

 ジャイアンツは4回から先発前川八郎を下げてスタルヒンを投入、4回からキャッチャーを吉原正喜から田代須恵雄に代えて万全の構え。吉原はまだキャッチングに難が残っているようだ。

 ジャイアンツは8回裏、この回先頭の川上が右前打で出塁、田代が送って一死二塁、ここでスタルヒンが中前に決勝タイムリーを放って4-3とする。

 スタルヒンは4回から南海打線を無安打に抑えきり最終回も平井を捕邪飛、中野隆雄は三振、中田も一邪飛と最後まで球威は衰えず結局6回を投げて無安打1四球3三振で開幕試合を飾る。

 初陣の鈴木芳太郎は8回を7安打2四球1死球2三振。3回~7回は1安打に抑える好投を見せた。


 南海は惜しい試合を落とした。2回、3回の攻撃では四人の右打者が全てセンターから右へのヒット、中野の同点打も右犠飛であった。前川のシュートを捨てて外に逃げる変化球を逆らわずに打ち返す指示がでていたのであろう。それをきちんと実践できるところがいい。後年強豪チームとなる南海は安井亀和、木塚忠助、蔭山和夫、森下整鎮、岡本伊佐美、小池兼司、樋口正蔵、国貞泰汎、桜井輝秀、藤原満と同タイプの巧打者を連綿と輩出していくこととなるが、その礎はこのチーム結成初公式戦に見せたバッティングにあると言っても良いでしょう。

2011年3月4日金曜日

西沢道夫のピッチング

 
 何時ぞやお約束した西沢道夫のピッチングについてお知らせいたします。
 今季16歳にして3勝をあげた西沢のピッチングについて、


・初勝利をあげた6月26日の阪急4回戦の翌日の読売新聞には「その殊勲の筆頭にはまず快投西沢をあげねばならない、コントロールも申分ないうえに落ち気味の直球は徹底的に阪急のミートを狂わせ・・・」


・3勝目をあげた7月15日のセネタース5回戦の翌日の読売新聞には「一方セ軍も西沢の小さく落ちる特徴の直球にバットは合わず・・・」
と記されている。



 西沢は速球投手なので単にボールがおじぎをしているのではないでしょう。となると握りを変えてのカットボールの可能性がある。この当時の軟投派としては遠藤忠二郎、木下博喜、森井茂、古川正男などがいるが読売新聞の記事には西沢と同様の表現が使われたことはない。あまりスピードのない森弘太郎などは「何の変哲もない投球」などと書かれている。落ちる直球であればスプリットフィンガード・ファストボールが考えられるがこの当時ボールを挟み気味に投げると言う発想があったとは考えにくい。西沢は当時としては珍しい182センチの長身であり指も長かった可能性があり、少し指をずらせばカットファストボールになる可能性がある。挟んでいた可能性もゼロではありませんが。

 と言うことで、一応西沢道夫を「カットファストボールの元祖」ということにしておきます。

 因みに日本でスプリットフィンガード・ファストボールが大流行したのは1986年に日米野球で来日したこの年のナショナル・リーグでサイ・ヤング賞を受賞したマイク・スコットが投げていたからです。


       *SFFで一世を風靡したマイク・スコット

2011年3月2日水曜日

13年春 講評

 昨年と比べると選手全体のレベルが上がってきており、一方的な試合が少なくなり好ゲームが増えてきた。


 優勝したタイガースは「海内無双」と言われた強さには若干陰りが見えてきた。若林忠志が肩の故障で温泉療養に徹して不出場となった投手陣では御園生崇男が相変わらずの安定味を見せたが所詮は西村の二番手であり、西村幸生は二シーズン連続防御率一位であったが、昨秋1.15であったWHIPが1.37に悪化しており安定味に欠けていた。7月20日付け読売新聞でも「総評」を掲載しており「西村は今春案外不成績に終わったが・・・昨秋に比べ直球のスピードを増した結果従来の曲球主義から直球主義に代えたところが結局不成功に終わったのである・・(宇野庄治)」と論評している。宇野庄治記者は旧制三高で野球とラグビー、京都大学時代はラグビーの名選手でありこの時35歳と油が乗り切っている時期、最高殊勲選手選定委員でもある。今季の西村の見立ては当ブログと同様のようである。


 投手陣を補ったのが藤村富美男の成長であった。二番に定着してセカンド、後半は内野の控えが成長してきたことからライトに回った。32得点は堂々の第一位である。三番山口政信は打率こそ2割9分9厘であったが出塁率が4割6分4厘で第二位。この二人が居たので四番景浦将が120打数34安打2割8分3厘ながら31打点でダントツ一位の打点王となった。皆川定之が成長してショート岡田宗芳のポジションを脅かし、本堂保次、奈良友夫がセカンドを争い藤村富美男がライトに入って昨秋の打点王藤井勇が控えに弾き出されるという状況であった。





 二位ジャイアンツは澤村栄治が兵役で抜けた穴を数字的にはスタルヒンが埋めたが未だ精神的弱さが顔を出す場面があり、肝心なところで取りこぼしがある。 


 中島治康は首位打者となったが好打が目立つだけで主砲としては物足りなかった。伊藤健太郎は終盤三原脩が復帰して千葉茂がレフトに回ったため出番が少なくなったがOPS0.890は苅田に次いで第二位であった。


 花の13年組では千葉茂が抜群の働きを見せた。三塁打7本は第一位。ライトへの打球がよく伸びていることを物語っている。打率は2割9分5厘ながら出塁率3割9分9厘、長打率4割4分3厘とバランスが良く、OPS0.841は第六位である。吉原正喜はシーズン当初スタルヒンの剛球が捕球できずスタルヒンの登板試合ではスタメンを外されたが、体中をアザだらけにする猛特訓の末スタルヒンの投球を捕球できるようになりレギュラーの座を固め、打率も2割6分5厘と及第点であった。



  三位阪急には突出したエースは不在であるが石田光彦と森弘太郎が5勝、宮武三郎と小田野柏が3勝、浅野勝三郎と重松通雄が2勝で、常に誰かが好調でその時々にエースの働きをしていた。


 山下実は監督業が中心となり、終盤は四番にジミー堀尾文人が定着、三番黒田健吾の活躍が目に付いた。ジミーと共にフランク山田伝、上田藤夫、キヨ野上清光の日系二世カルテットが渋い働きを見せた。




 四位イーグルスは畑福俊英が不出場。どうやら畑福はイーグルスをクビになっていた模様で、昭和13年8月26日付け読売新聞は「畑福復帰」の見出しと共に「一旦イーグルスを退社中の畑福投手の復帰はじめ・・八選手の登録を承認した」「畑福 俊英 投(元イ軍)26(歳=筆者注)」と伝えている。「元イ軍」とはクビになっていたと想定され、であれば恐らく酒の上で問題を起こして謹慎させられていたのではないか。
 亀田忠のピッチングは春季リーグ戦のハイライトと言っても過言ではなく、三試合連続(間に1イニング投げた試合を挟む)を含む四試合で1安打完投勝利(うち二つは完封)は圧巻であった。沢村賞があれば亀田忠が受賞することとなる。中河美芳は序盤戦しか投げなかったが、下手投げの古川正男の巧投が目に付いた。


 バッキー・ハリスの強打、中根之の巧打、漆原進のいぶし銀が目に付いた。中河美芳は昨秋のセンセーショナルな活躍ほどではなかったが、読売新聞の記事からすでに守備の名手として注目されていることが確認できたことは収穫であった。ルーキー山田潔がショートに定着した。打撃は今一であるがイーグルスの弱点であったショートの守備が安定したことが大きかった。



 

 五位セネタースを引っ張った苅田久徳が最高殊勲選手に輝いた。OPS0.905は第一位であった。但し打戦は八球団最弱かもしれない。


 浅岡三郎がエースとして安定したピッチングを見せた。金子裕も昨年のノーコン病から一転して絶妙のコントロールを見せたが終盤は昨年の状態に後戻りした。



 

 六位金鯱では四番小林茂太の勝負強いバッティングが印象的であった。小林茂太は140打数40安打2割8分2厘ながら25打点は景浦将に次いで中島治康と並ぶ二位である。景浦、中島という球史に名を残す大打者とそん色のない、或いは実質的にはそれ以上の打点を稼いでいたことはほとんど知られていない。
 江口行男が14個で盗塁王、五味芳夫が13個で第二位と上位を独占した。九番の佐々木常助も8個で第五位である。レギュラーキャッチャー松元三彦の怪我の間は岡田源三郎監督がマスクを被り打撃でも大活躍、ホームスチールも記録した。


 中山正嘉は古谷倉之助からエースの座を奪った。まだ伸びる余地は十分あると思われる。マー君も口で「開幕投手だー」と言う前に、実績で岩隈を上回ってから開幕投手を務めるべきであろう。





  七位名古屋では中島治康と最後まで首位打者を争った桝嘉一が3割3分で第二位、石田政良が3割2分4厘でハリスを6毛凌いで第三位であった。


 松尾幸造はエースの座につくかと思われたが伸び悩んだ。素質は第一級のものがあるだけに今後が楽しみな素材である。16歳の西沢道夫も使える目途が立ってきただけに上位を狙える可能性はある。


  八位ライオンは大友一明が四番に定着、桜井七之助も中軸を打つなどピッチャー兼任の打者に頼っている。ショート中野隆雄の守備を何とかしないと上位は狙えない。

 菊矢吉男がエースの働きを見せたが近藤久の出遅れが痛かった。終盤は近藤久が見事なピッチングを見せただけに惜しまれる。



 昭和13年秋季リーグ戦は8月27日に開幕します。いよいよ南海が加わり九球団によるリーグ戦となります。南海は今春すでにチームを編成していますが公式戦の出場はお預けとなっていました。リーグ戦と並行して数多くのオープン戦を行っていますのでまごつくことは無いでしょう。

 3月5日から秋季リーグ戦の模様を実況中継させていただきます。











2011年3月1日火曜日

13年春 最高殊勲選手

 昭和13年春季リーグ戦の最高殊勲選手は苅田久徳に決定した。


 昭和13年7月17日付け読売新聞は、苅田の自伝「天才内野手の誕生」の表紙に使われているのと同じ写真を掲載して「“最高殊勲選手”は苅田」と伝えている。このシーズンの最終戦は7月17日に行われており、同日付で新聞発表されたということは7月16日に決定したということである。と言うことはバッキー・ハリスの最終戦の2本塁打と景浦将の苅田と並ぶ第5号ホームランは考慮されないまま苅田のMVPが決まったわけである。


 実際、同日付読売新聞は「職業野球春の大リーグ戦はけふ(今日=筆者注)幕を閉じるが恒例の最高殊勲選手は・・・・セネタースの監督兼選手苅田久徳二塁手を満場一致推薦・・・」と伝えている。




 ここまで読んで「?」と思った方はかなりの苅田通です。苅田は自伝にこの時のいきさつをかなり詳しく書いていますが、7月16日に決まったとすると明らかに矛盾する記述となっており、苅田の記憶違いと考えられます。これはすなわち苅田はゴーストライターなどを使わず全て自分の記憶を頼りに書いていたことの証左でもあります。同著は時系列に怪しい部分もありますが、苅田の生の感情がぶつけられており、数ある自伝書の中でも秀逸の作品であると言えます。


 苅田は今季134打数40安打7盗塁5本塁打、打率2割9分9厘、出塁率4割1分3厘 、長打率4割9分3厘、OPS0.905 でした。私が苅田が昭和13年春にMVPをとったことを知ったのは中学時代ですが、以来40年、打率が高くなくてベストテンの9位であることから守備が評価されただけで本当の価値があったのか疑問に思い続けていました。それが今回、OPSを算出してみて40年間の疑問が吹き飛びました。


 苅田の今季のOPS0.905は全選手中No1です。以下、伊藤健太郎0.890、バッキー・ハリス0.873、桝嘉一0.860、景浦将0.848、千葉茂0.841、中島治康0.822と続きます。打率の低さだけで苅田を評価していた自らの浅はかさを反省する今日この頃です。


 未だOPSという概念の無かった当時の選考委員 二出川延明審判、広瀬謙三公式記録員、新聞記者は秋山、友田(同盟)・金子(國民)・安藤(都)・水野(名古屋)・宇野、三宅(読売)各氏の慧眼に敬意を表します。