2010年12月13日月曜日

13年春 ライオンvs金鯱 1回戦

5月1日 (日) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 1 0 0 2 0 0 0 0 5 ライオン 1勝1敗 0.500 菊矢吉男
0 0 0 0 3 1 0 0 0 4 金鯱    1勝1敗 0.500 古谷倉之助


勝利投手 菊矢吉男      1勝1敗
敗戦投手 古谷倉之助  0勝1敗


二塁打 (ラ)坪内 (金)中山
三塁打 (ラ)中野


ライオン、先行逃げ切り


 本日は甲子園に八球団が集結して1日4試合。第一試合は午前11時試合開始。

 ライオンは初回、先頭の坪内道則が左中間に二塁打、大友一明四球から鬼頭数雄は遊ゴロ、6-4と渡りワンアウト、しかしセカンド江口行男からの一塁転送をファースト瀬井清が失する間に坪内が還り1点を先制。二死後桜井七之助が左前のいタイムリーを放って2-0とする。更に2回、この回先頭の中野隆雄が左中間に三塁打、一死後原一朗の三ゴロの間に中野が生還して3-0とする。

 ライオンは5回、一死後坪内が四球で出塁、大友の遊ゴロは6-4と渡るがセカンド江口が落球して一死一二塁。鬼頭の一二塁間の当りはファースト瀬井が捕って一塁ベースカバーのピッチャー古谷倉之助にトスしてツーアウト、しかしこの間に二走坪内は三塁を蹴ってホームに還り4-0、大友も三塁に達する。水谷が四球で歩いて二死一三塁、桜井の初球に水谷が二盗を試みるとセカンド江口が再び落球、この間に三走大友が還って5-0とリードを広げる。

 金鯱は5回裏、この回先頭の瀬井清が左前打で出塁、一死後五味芳夫が右中間にヒットで続き武笠茂男に代わる代打中山正嘉が右中間に2点タイムリー二塁打を放ち2-5としてなお二三塁、小林茂太の二ゴロの間に江口が還って3-5とする。 

 金鯱は6回、一死後四球で歩いた瀬井清が二盗、二死後五味のタイムリーで4-5と1点差に詰め寄るがここまで。

 菊矢吉男は6安打9四球8三振と相変わらずのピッチングではあるが完投で今季初勝利。

 ライオンは先制攻撃と菊谷の力投で逃げ切る。金鯱は島秀之助が引退、黒澤俊夫が兵役と攻撃の起点となるツートップが不在、更に昨秋は三番も打った矢野槇雄も兵役となり苦しい。

2010年12月12日日曜日

13年春 阪急vsタイガース 1回戦

4月29日 (金) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 0 0 2 1 0 1 6 阪急     0勝1敗 0.000 宮武三郎 浅野勝三郎
0 6 1 0 0 1 0 1 X 9 タイガース 1勝0敗 1.000 御園生崇男 景浦将


勝利投手 御園生崇男 1勝0敗
敗戦投手 宮武三郎     0勝1敗
セーブ   景浦将       1


二塁打 (タ)御園生
三塁打 (阪)堀尾
本塁打 (阪)黒田 1号 (タ)松木 1号、 御園生1号


松木謙治郎、開幕を彩る満塁弾


 タイガースは開幕投手に西村幸生ではなく昨年も阪急戦でのローテーションの柱としていた御園生崇男を指名。西村は5月1日のイーグルス戦に温存する。タイガースは阪急よりもイーグルスをマークしているようだ。一方、阪急は宮武三郎を開幕投手に指名、宮武は老骨に鞭打って(と言ってもこの時満31歳ですが)どのようなピッチングを見せてくれるのか。因みに現在ユーチューブで見ることのできる慶應時代の宮武は下手から投げています。

 阪急は初回、トップの(九)西村正夫遊ゴロ、(五)黒田健吾三直、(一)山下実投ゴロ。2回は四番(八)ジミー堀尾文人投ゴロ、(六)上田藤夫遊飛、(七)山下好一投ゴロで無得点。

 タイガースは初回、トップの(三)松木謙治郎一ゴロ、(四)藤村富美男四球で出塁、(八)山口政信中前打で一死一二塁、四番(七)景浦将は遊ゴロで6-4-3のゲッツー。2回、(五)伊賀上良平が左前打で出塁、(九)藤井勇の投ゴロでランナーが入れ替わり、(一)御園生崇男左前打で一死一二塁、(二)カイザー田中義雄の当りは宮武を強襲し、更に宮武が二塁に悪送球する間に二走藤井が還って1点を先制。九番(六)岡田宗芳が四球を選んで一死満塁、トップに返り松木が右翼スタンドにグランドスラムを放ち5-0。ここで終わらないのがタイガース打線、続く藤村中前打、山口四球で宮武をKO、代わった浅野勝三郎から景浦が左前にタイムリーを放ち6-0とする。

 阪急は3回、この回先頭の(四)宇野錦次の遊ゴロをショート岡田がエラー、島本義文左前打で無死一二塁、続く浅野の当りは中前に抜け、二走宇野はホームに生還するがセンター山口から二塁ベースカバーの岡田に送球されて一走島本はフォースアウト、センターゴロとなって浅野はヒットを一本損するが打点1は記録されています。トップに返り西村中前打、二死後山下実四球で満塁、堀尾の遊ゴロを岡田がこの回二つ目のエラーで2-6とする。

 タイガースは3回、この回先頭の御園生が左翼スタンドにホームランを放ち7-2とする。

 阪急は6回、この回先頭の山下実が中前打、堀尾の投ゴロが野選を誘い、上田四球で無死満塁、山下好一の一ゴロで山下実が生還、宇野に代わる代打石田光彦の遊ゴロで三走堀尾がホームに突入、ショート岡田からのバックホームは間に合わず野選となり4-7。タイガースはその裏、景浦が遊失に生き、藤井中前打、御園生が右中間にタイムリー二塁打を放って8-4。

 阪急は7回、一死後黒田が左翼スタンドにホームランを放って5-8。タイガースは8回から御園生をレフトに回し景浦がマウンドに登場。タイガースは8回、御園生右前打、岡田右前打の二死一三塁から松木が右前にタイムリーを放ち9-5。阪急は9回、二死一塁から堀尾が右中間に三塁打を放って6-9、ここで上田に代わってルーキー小田野柏が代打で登場するが三振に倒れてゲームセットを告げるサイレンが鳴り響く。

 タイガースは御園生崇男が5打数4安打3得点2打点、松木が4打数2安打5打点の活躍。新人の登場はありませんが兵役の影響も少なく今年も強さは際立っている。タイガース、ジャイアンツに次ぐ前評判の阪急は宮武が誤算であったが終盤はタイガースを凌ぐ戦いぶりで期待を持たせる。

 阪急の二番手浅野勝三郎は昨年は旧姓山田勝三郎として阪急の最終戦で初勝利をあげた。年を跨いで姓が変わって二試合連続登板を果たしたことになる。浅野は明石中学の出身、明石中学時代は楠本保、中田武雄と共に中京商業と延長25回を戦った時の中堅手である。因みにこの時の中京商業はキャッチャーが野口明、センターが鬼頭数雄です。明石中学時代は澤村を上回るとも言われた楠本と控えピッチャーの中田(控えと言っても中京商業との延長25回を完投しています)は慶應義塾大学に進学、浅野(当時はまだ山田)はオール明石を経て阪急に入団。浅野が楠本、中田以上のピッチャーであったとは考えられず、当時の六大学と職業野球のレベル差(当然六大学の方が上)を感じさせます。明石と言えば赤穂と山陽沿線、浅野と言えば浅野内匠頭、山田から浅野に姓が変わったと言うことは浅野家に養子に入ったと考えられ、地元ではきっと名門なのでしょう。

 なお、タイガースのオーダーが昨年のレフト藤井勇、ライト景浦将からレフト景浦将、ライト藤井勇に入れ替わっていることに気がついた方は立派な当ブログ通です。 

13年春 ライオンvsジャイアンツ 1回戦

4月29日 (金) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 2 0 2 ライオン    0勝1敗 0.000 菊矢吉男
3 2 0 0 0 0 0 0 X 5 ジャイアンツ 1勝0敗 1.000 スタルヒン


勝利投手 スタルヒン 1勝0敗
敗戦投手 菊矢吉男  0勝1敗


二塁打 (ラ)水谷
 
吉原正喜登場


 ジャイアンツは初回、戦場における名誉の負傷から復帰した先頭の(四)三原脩三ゴロ、(六)白石敏男二ゴロ、(五)水原茂が中前打で出塁、四番(九)中島治康も中前打で続き、(七)伊藤健太郎の初球に菊矢吉男がワイルドピッチ、伊藤四球で二死満塁、デビュー戦で六番に起用された(八)三田政夫(さんた まさお)が押出し四球を選んで1点を先制、続くベテラン(三)永澤富士雄が右前に2点タイムリーを放ち3-0、八番(二)吉原正喜は投ゴロに終わる。更に2回、(一)スタルヒン投ゴロ、トップに返り三原四球、白石死球、水原四球で一死満塁、中島右前タイムリー、伊藤押出し四球で5-0とする。

 ライオンは初回、トップの(八)坪内道則三振、(四)大友一明の遊ゴロをショート白石がエラー、(七)鬼頭数雄の初球にキャッチャー吉原がパスボールを犯して一死二塁、しかし鬼頭右飛、四番(九)水谷則一遊ゴロで無得点。2回は(三)桜井七之助中飛、(一)菊矢吉男一塁内野安打、(六)中野隆雄三振、(五)柳澤騰市一ゴロでチェンジ。3回は先頭の(二)原一朗が右前打で出塁するが坪内、大友、鬼頭の上位打線が三連続三振。

 菊谷は3回以降立ち直って3安打(うち2本は内野安打)無失点、スタルヒンも4回から7回は2安打無失点の好投を見せる。

 ライオンは8回、この回先頭の大友が左前打で出塁、鬼頭の二ゴロでランナーが入れ替わり、水谷の右中間二塁打で鬼頭が還り1-5、二死後菊矢が中前にタイムリーを放ち2-5と追い上げるがここまで。

 スタルヒンは7安打3四球9三振の力投で完投勝利。澤村栄治を兵役で欠いたジャイアンツのエースとなりうりか、勝負の年となる。昨年は精神的不安定さが垣間見えたが、初回新人捕手の不手際にも動じず、2回も先頭打者にヒットを許してから三連続三振で切り抜けるなど進歩が見られる。翌日の読売新聞の論評にも「昨秋に比すればかなりの進歩が見受けられた」とある。

 主砲中島治康もこの年を境に真の主砲としての道を歩むこととなるが、この日は4打数3安打と未来を暗示しているかのような活躍であった。

 一方、菊矢吉男は相変わらずの荒れ模様、7四球1死球のうち初回と2回で5四球1死球を集めてしまい5点を献上した。

 ジャイアンツの「花の13年組」から三人がデビューした。六番に起用された三田政夫は滝川中学時代からの俊英。しかしプロでは開花することなく兵役にとられて戦死した。同期の千葉によると「体が硬く変化球に弱かった」ようである。この日は4打席2打数無安打2四球、二度の凡退がいずれも三ゴロであった。8回から三田に代わってセンターの守備についたのが享栄商業出身の野村高義、野村は翌年地元の金鯱に移籍してレギュラーポジションをもぎ取ることとなる。吉原正喜は初回にパスボールを犯し、打っても第三打席までは投ゴロ、二飛、遊ゴロといいところがなかったが、第四打席に三塁前に内野安打してプロ入り初ヒットを記録した。スコアブックの記録だけでは判別しかねるが、これはセーフティバントを決めたものではないでしょうか。吉原の俊足と機転が利く点は良く知られているところであり、三打席目まで凡打が続いたところでセーフティバントを狙ったあたりに吉原の野球センスを感じる。

13年春 セネタースvsイーグルス 1回戦

4月29日 (金) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 セネタース  0勝1敗 0.000 浅岡三郎 金子裕
1 1 0 1 5 0 1 0 X 9 イーグルス 1勝0敗 1.000 中河美芳


勝利投手 中河美芳 1勝0敗
敗戦投手 浅岡三郎 0勝1敗


二塁打 (セ)北浦、尾茂田 (イ)大貫、寺内


中河美芳、完封で開幕初戦を飾る


 セネタースは初回、トップの(四)苅田久徳監督右飛後、(二)北浦三男が右中間に二塁打、しかし(八)尾茂田叶右飛、(三)綿貫惣司遊ゴロで無得点、2回は(九)家村相太郎二ゴロ、(一)浅岡三郎三振、(七)青木幸造遊ゴロと三者凡退、3回は(五)横沢七郎四球、(六)磯野政次の遊ゴロで横沢二封、苅田中前打で一死一二塁のチャンスを作るが北浦一邪飛、尾茂田叶右飛で無得点。

 イーグルスは初回、先頭の(八)寺内一隆右飛、横沢三郎監督に殉じてセネタースを飛び出しイーグルスに移った(三)大貫賢が古巣に意地を見せる右中間二塁打、ここまでは初回のセネタースと全く同じ展開であるがここからが違った。三番(九)中根之が左前に流し打って一死一三塁、四番(二)バッキー・ハリスの初球に中根が二盗、ハリスが左犠飛を打ち上げて1点を先制する。五番(一)中河美芳四球、(八)杉田屋守の遊ゴロをショート磯野が失して二死満塁、しかし(四)木下政文が投ゴロに倒れて三者残塁。

 なお、昭和13年も公式記録では犠牲フライは記録されておりませんので、犠飛の取り扱いに関しては当ブログ独自にスコアブックの記録から現行ルールに照らして判断させていただきますのでご了承願います。

 イーグルスは2回、この回先頭の(六)山田潔投ゴロ、(五)漆原進が左前打で出塁、トップに返り寺内右飛、大貫の初球浅岡のワイルドピッチで漆原は二進、大貫四球で二死一二塁、続く中根の初球にダブルスチールを決めて二三塁、中根ノーストライクツーボールの時に浅岡は何を思ったか二塁に牽制、しかもこれをセカンド苅田がエラーする間に三走漆原がホームに還り2-0。更に4回、この回先頭の漆原四球、寺内が送って大貫の三ゴロをサード横沢(昭和12年は横沢三郎監督がいましたので弟の七郎は横沢七と表記していましたが、昨シーズン途中で三郎監督が退団して審判に転じて今季から同姓がいませんので「横沢」と表記させていただきます。)が弾き漆原は動けず一死一二塁、中根は右飛に倒れるがハリスが左前にタイムリーを放って漆原を迎え入れ3-0とする。

 イーグルスは5回、この回先頭の杉田屋右前打、ルーキー木下が中前にプロ入り初ヒット、ここでセネタースは先発浅岡から金子裕にスイッチ、続くこちらもルーキーの山田の初球、キャッチャー北浦からの二塁牽制に二走杉田屋が飛び出し二三塁間に挟まれるが、2-6-5-4と渡ったところでセカンド苅田がこの日二つ目のエラー、無死二三塁となり山田の三ゴロの間に杉田屋が生還、山田潔はプロ入り初打点を記録する。なおも一死三塁から漆原の遊ゴロに木下がホームを突くも6-2と渡りタッチアウト、木下の若さが出たというよりここは積極的な走塁を評価しておきましょう。トップに返り寺内の遊直をショート磯野がエラー、大貫四球で二死満塁、中根の初球にキャッチャー北浦が二塁牽制、これが悪送球となって三走漆原に続いて二走寺内も生還して6-0、中根死球で二死一二塁からハリスが中前にタイムリーを放って7-0、なお二死一三塁からダブルスチールを決めて8-0。7回にも漆原のヒットと寺内のタイムリー二塁打で1点追加して9-0とする。

 中河美芳はセネタース打線を3安打2四球6三振で封じ切り、今季完封一番乗りを果たす。
 イーグルスは昨年四番、五番のサム高橋吉雄と小島利男が応召。二遊間に新人の木下政文と山田潔を起用した。まずは無難なデビュー、昨年春季リーグ戦は守備の破綻で断トツ最下位であったが、本日は無失策で開幕初戦を飾った。

 一方、セネタースはエース野口明と主砲中村民雄が応召、セネタースは昭和11年に百万ドル内野陣を形成したが11年シーズン終了後サード高橋輝夫が応召、昨年シーズン途中にショート中村信一が応召と時局の影響を最も受けており、補強もままならぬ苅田監督としては不満を表すわけにもいかず頭の痛いところ。このようなチーム状況のセネタースを引っ張ったことがシーズン終了後のMVPにつながる訳ですが、守備を評価されて受賞した苅田が開幕戦でエラーを二つ犯しているのはあまり知られていないところでしょう。尤も、当時の記者(実質的には記録員、この日の記録は広瀬謙三氏によるものか委託を受けていた新聞記者によりものかは分かりませんが)からすれば苅田であれば捕って当たり前、現在ではヒットと記録される当りでもエラーと記録されたとも言われています。本日の2失策もイレギュラーなプレー、すなわち、一つ目は二三塁でまさか浅岡が二塁に牽制球を投げてくるとは思わなかったかもしれませんし、二つ目は走者の陰に隠れたかもしれません。スコアブックに残された公式記録を忠実に再現しているつもりですが、実際のプレーを見ていない当ブログの限界です。

2010年12月11日土曜日

13年春 名古屋vs金鯱 1回戦

4月29日 (金) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8  9  計
3 1 3 0 0 0 0 0  0  7 名古屋  0勝1敗 0.000 松尾幸造 森井茂
1 0 1 0 0 0 2 0 4X 8 金鯱     1勝0敗 1.000 鈴木鶴雄 塩田猪年男


勝利投手 塩田猪年男 1勝0敗
敗戦投手 松尾幸造     0勝1敗


二塁打 (名)松尾2 (金)塩田
三塁打 (金)瀬井
本塁打 (名)村瀬 1号


波乱の幕開け


 昭和13年春季リーグ戦は後楽園球場に八チームが集まり午前11時6分、プレートアンパイヤ川久保喜一がプレイボールをコール、開幕を告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 名古屋は初回、先頭の(九)桝嘉一が左前にヒットを放って出塁、(八)石田政良が右前打で続き無死一二塁、(五)大沢清の二ゴロは6-4-3のゲッツーとなり二死三塁、四番(七)白木一二は四球、(三)小島茂男が左前に先制タイムリーを放って1-0、(四)石丸藤吉が四球を選んで二死満塁、(二)三浦敏一が右前に2点タイムリーを放って3-0とする。

 金鯱は1回裏、先頭の(五)五味芳夫は左飛に倒れるが(四)江口行男がレフトにヒットを放ち出塁、三番に抜擢された浦和商業出身チーム最年少の(七)武笠茂男は三ゴロで5-4と渡り江口は二封、しかしセカンド石丸からの一塁送球が高く逸れて武笠は二塁に進む。四番(九)小林茂太の三ゴロをサード大沢が後ろに逸らし、レフト白木のバックホームも高く逸れて武笠が生還し、1-3とする。続く(二)松元三彦が四球、しかし(一)鈴木鶴雄の遊ゴロでチェンジ。続く2回、この回先頭の(六)岡野八郎四球、(三)瀬井清が左翼線ヒットを放ち無死一二塁、しかし岡野がキャッチャー牽制に釣り出されて二三塁間でタッチアウトとなりチャンスを潰す。

 名古屋は2回、地元享栄商業出身の期待のルーキー九番(六)村瀬一三が四球で出塁、トップに返り桝の遊ゴロをショート岡野がエラー、石田の投ゴロで村瀬が三封、白木が中前にタイムリーを放ち4-1と突き放す。更に3回、先頭の石丸が四球で出塁、一死後松尾幸造が右中間を抜いて二塁打とし石丸を迎え入れて5-1、ここで村瀬がプロ入り初安打となる第1号ホームランを左翼スタンドに叩き込んで7-1とする。

 金鯱は3回裏、江口三前内野安打、武笠左前打、一死後松元四球で満塁、鈴木の右犠飛で2-7とする。金鯱は4回までに9安打を許した鈴木鶴雄をあきらめ5回から二番手に塩田猪年男を投入、これが功を奏して塩田は9回まで1安打ピッチング。

 金鯱は7回、一死後武笠、中山正嘉、松元が三連続四球で満塁、塩田が右翼線に2点タイムリー二塁打を放って4-7と追い上げる。

 金鯱は9回裏、江口、武笠が連続四球、中山の遊ゴロをショート村瀬が失して無死満塁、松元が押出し四球を選んで5-7、名古屋はここで松尾をあきらあめて森井茂をリリーフに送る。代打古谷倉之助の三ゴロで一走松元が二封となる間に武笠が還って6-7、岡野は三振に倒れるが、瀬井が左中間を破り中山に続いて一走古谷がサヨナラのホームを踏んで金鯱が開幕戦に相応しい劇的な逆転勝利を飾る。

 金鯱の勝因は5回からマウンドに上がった塩田猪年男が9回まで1安打無失点の好投を見せたこと。名古屋先発の松尾幸造は良いシュートボールを投げるがコントロールに難がありこの日も11四球1死球と乱れた。金鯱終盤の逆転劇は松尾の四球連発から始まっている。

 名古屋のルーキー村瀬一三は2打数1安打2四球、初ヒットがホームランと華々しいデビューを飾る。金鯱のルーキー武笠茂男も三番抜擢に応えて2打数1安打2四球1死球で3得点の活躍を見せた。

久慈次郎

 12月10日の各スポーツ紙は、札幌ドームで行われた北海道日本ハムファイターズの斎藤佑樹投手の入団発表に8,000人のファンが集まったと伝えています。当ブログの実況中継は昭和13年に突入しますが、この年は旭川中学出身のスタルヒンが大きく飛躍する年となります。北海道野球が注目を集めることとなりました。


 ということで、北海道野球史に欠かすことのできない「久慈次郎」を特集します。久慈は旧制盛岡中学から早稲田大学野球部に入部、飛田穂洲の薫陶を受け名捕手となります。卒業後は函館オーシャンで野球を続け、試合中の事故で亡くなるまで函館に居住することとなります。


 昭和9年、ベーブ・ルース一行を迎え撃つ全日本軍では主将に選ばれ、澤村の教育係としてジャイアンツ入りを打診されますが、この年の春函館を襲った大火のため、家業の久慈運動具店の復興を優先し、プロ入りを断念します。




*久慈を伝える「北の球聖」










 昭和9年の日米野球は神宮球場で11月3日東京倶楽部vs全米軍、4日全日本vs全米軍が行われた後、11月8日に函館で行われました。


 主将の久慈次郎が、大火に見舞われた函館復興のため函館開催に奔走したためと言われています。当初の予定では11月7日に行われるはずが、7日は雪混じりの雨で中止となりました。9日には仙台での試合が予定されていたことから当時の移動手段を考慮して函館開催を中止して仙台に向かうことが検討されましたが、久慈の懇願から11月8日に行われることとなったと伝えられています。


*ベーブ・ルース一行が宿舎とした湯の川温泉「福井館」の絵葉書に残された全米軍のサイン
















*昭和9年11月8日の日付入りスタンプが押されています。スタンプにかかっているのはチャーリー・ゲーリンジャーのサイン。









*この絵葉書に書かれたモー・バーグのサインは、バーグが日本に残したサインの中でも最高級のものではないでしょうか(下がバーグ、上はフランク・オドゥール)。







 因みに「Tour of Japan」の全米チームのサインはアメリカでも特別なカテゴリーとして人気があります。12月9日に終了した「Legendary Auctions」では完品に近いタマザワ製の全米チームサインボール(極めて状態の良い箱付き)が出品され、42,000ドルで落札されました。同オークションのホームページに入り「Baseball Autographs」のカテゴリーで見ることができます。次回のオークション開催まで掲示されているはずですが、必見ですのでお早めにどうぞ。しかしこれにはモー・バーグのサインだけ入っていません。恐らくスパイ活動に忙しくてサイニングどころではなかったのでしょう。


 昭和14年8月19日、久慈次郎は試合中の事故で亡くなります。プレイングマネージャーの久慈は四球で歩いた際、一塁に向かいかけて次打者に指示を出そうとして戻りかけてところ(と想像されていますが真相は分かりません)にキャッチャーの二塁牽制球がこめかみを直撃し、スローモーションのようにホームベース上に倒れたのである。

 今も都市対抗に「久慈賞」として名前を残していることはご存知のとおりです。


*昭和9年全日本時の久慈のサイン。上に「Cap」(キャプテン)と書かれています。

2010年12月9日木曜日

福室野球資料館

 現在当ブログで解読作業を進めている職業野球公式スコアブックの元の所有者である福室正之助氏についてご紹介させていただきます。


 1970年代の週間ベースボール等の野球雑誌に数多く紹介されていますのでご存知の方も多いかと思いますが、本日は報知新聞社刊「月間ジャイアンツ臨時増刊」(昭和53年4月25日発行)を参照しながら進めていきます。


 ここには当時63歳と記述されています。いくつか抜粋させていただくと、「球界では知る人ぞ知る存在だ。『ああ、あの漬物屋の社長さん』で通る。」、「なにしろ『蔵書2万冊、スクラップブック1万冊』というすさまじさだ。そこでついに私設野球資料館をつくった。マスコミ関係者の間に利用者は多い。」、「野球体育博物館にさえない貴重な資料の数々・・・いまでも博物館に協力して、ときどき資料を提供する。」等である。


 すでに10年以上前に亡くなられたそうで、資料の多くは野球体育博物館に寄贈された模様です。このような関係から、コミッショナー事務局に保管れている公式スコアブックのコピーを入手されたものと推察されます。


 2010年3月22日付けブログ「序説」(当ブログの第1回)に記載させていただいたとおり、私が入手した先は神田神保町の野球関連書籍を専門に扱う古書店ですが、資料館の整理をお手伝いした関係で店頭に並べることができたそうです。この時同時に昭和初期の野球関連記事約10年分のスクラップブックも店頭に並んでいたのですが(こちらは他の方が購入されたそうです)、本日参照させていただいている「月間ジャイアンツ臨時増刊」にも「昭和8年からの読売新聞のスクラップ」が紹介されていますので、恐らくこのことだと思われます。