昭和18年10月1日、南海との10回戦で3打数3安打2打点と鮮烈デビューした田中雅治は、海草中学時代に春夏合計7回甲子園に出場、昭和14年、15年甲子園連覇の時の二塁手でした。
13年春のセンバツでは控えでベンチ入りし、13年夏は三塁手。嶋清一が四球連発で降板してショートの松井実がマウンドに上がるとショートの守備に入りました。松井実は戦後、都市対抗野球で2年連続橋戸賞を獲得。
田中は14年春のセンバツからセカンドのレギュラーになり、サードには真田重蔵が入っています。田中は二番、真田は八番でした。
14年夏は嶋清一が5試合連続完封、準決勝、決勝と2試合連続無安打無得点で全国制覇。真田が四番嶋に続く五番に上がり、田中が六番を打っています。田中は1回戦の嘉義中戦で三塁打を放ち、準決勝の島田商業戦では4打数3安打二塁打2本など通算19打数6安打2打点を記録して優勝に貢献しています。この大会では森本清三が控えでベンチ入りしました。
15年春のセンバツは真田が嶋の後を受けてエースとなり五番、田中が三番セカンド、森本がファーストのレギュラーとなり八番。
15年夏は真田が四番エースで夏の甲子園二連覇。森本が二番ファーストに入り、田中は五番セカンド。田中は通算15打数3安打と振るいませんでしたが、3回戦(準々決勝)の京都商業戦では真田をリリーフしてマウンドに立ち延長12回勝利に貢献しました。
甲子園通算47打数12安打、衝撃のデビューの下地は海草中学時代に培われていました。プロ野球には昭和18年のみ在籍、戦死することとなります。
*記録は「選抜高等学校野球大会50年史」と「全国高等学校野球選手権大会50年史」からの手計算になりますので、間違っている可能性がありますのでご了承ください。
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