4月11日 (日) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 阪急 1勝2敗 0.333 天保義夫
0 1 0 1 0 0 0 0 X 2 南海 1勝2敗 0.333 清水秀雄
勝利投手 清水秀雄 1勝1敗
敗戦投手 天保義夫 1勝1敗
二塁打 (急)池田 (南)八木
勝利打点 八木進 1
八木進、決勝二塁打
阪急は初回、二死後上田藤夫が四球で出塁、池田久之がレフト線に二塁打を放って二死二三塁、しかし笠石徳五郎は右飛に倒れて無得点。
南海は2回、一死後清水秀雄が四球で出塁、鈴木芳太郎の三ゴロの間に清水は二進、八木進が左中間に二塁打を放って1点を先制する。
南海は4回、先頭の岡村俊昭が中前打、別所昭が左前打で続いて無死一二塁、清水が送りバントを決めて一死二三塁、鈴木は浅い中飛に倒れて二死二三塁、八木の三ゴロをサード伊藤健一が一塁に悪送球する間に三走岡村が還って2-0とする。
阪急は7回、先頭の下社邦男の当りは一ゴロ、ファースト笠石がベースカバーのピッチャー清水にトスするが清水が落球、伊藤が三塁に内野安打、天保のバントが内野安打となって無死満塁、トップに返り仁木安の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレーとなる間に三走下社が還って1-2とする。
清水秀雄は8回、9回の阪急の攻撃を無安打に抑える。9回一死後は、伊藤に代わる代打高橋常治と天保連続三振に切って捨てて締めくくり、6安打4四球5三振1失点、自責点ゼロの完投で今季初勝利を飾る。
八木進が2回に決勝二塁打を放って勝利打点を記録した。ポナペ島出身の八木は、神奈川の関東学院中学時代、浅野綜合中学の飯田徳治、横浜商業の小松原博喜と共に、「横浜中等球界の三羽烏 」と謳われた名選手であった。
ところが、ネット上では八木進が「関西学院中学出身」と誤って伝わっているケースが多く見られる。「関学中」と略して書かれると「関東学院中学」であるか「関西学院中学」であるか判別できないことに起因していると考えられる。
八木進は昭和19年にフル出場した後に応召し、戦死することとなる。野球殿堂博物館発行「野球殿堂オフィシャルガイド」に掲載されている「鎮魂の碑」には戦没したプロ野球選手のリストが掲載されており、八木進は「関東学院中」出身であると正しく書かれている。ところが、同博物館のホームページに掲載されている「鎮魂の碑に祭られた選手一覧」では、八木進が「関西学院中」出身であると誤って掲載されている(2016年3月24日現在)。
NPBに自浄能力が欠如していることは多くの事象が証明しているが、「野球殿堂博物館では、戦没されたプロ野球選手の情報を、収集しております。」より先に、足許を見つめ直すべきではないでしょうか。
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