10月15日 (木) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 阪神 43勝41敗5分 0.512 玉置玉一 若林忠志
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 大和 22勝57敗9分 0.278 石原繁三
勝利投手 玉置玉一 1勝0敗
敗戦投手 石原繁三 15勝23敗
セーブ 若林忠志 3
勝利打点 御園生崇男 6
玉置玉一、生涯唯一の勝利投手
大和は大洋から移籍してきた苅田久徳が監督兼選手となって、この試合からセカンドでグラウンドに復帰した。
阪神先発の玉置玉一は前半から慎重なピッチングで大和打線を抑える。初回は三者凡退、2回は一死後小松原博喜、杉江文二に連続四球を与えるが二走小松原を牽制で刺してピンチを切り抜ける。3回は先頭の苅田を二ゴロに打ち取るがセカンド平林栄治がエラー、しかし山田潔を二ゴロに打ち取り今度は「4-6-3」と渡ってダブルプレー。4回は先頭の金子裕に初ヒットとなる一塁内野安打を許し、木下政文に送られて一死二塁とするが、小松原を捕邪飛、杉江を一ゴロに打ち取る。5回、先頭の石原繁三に右前打を許すが外野から戻ってきた白球をファースト門前真佐人が隠し持っており、石原が離塁するとタッチ、「隠し玉」が成立してピンチが消滅した。
「隠し玉」は武士道精神に反するということで昭和18年に禁止されることとなるので、これが戦前最後の「隠し玉」となる可能性があります。
阪神打線も大和先発の石原を打てず、7回まで無安打。エラーや四球や死球で走者は出すが、1回、2回、4回と併殺でチャンスの芽を摘んだ。
阪神は8回、先頭の玉置が初ヒットとなる三塁内野安打で出塁、野口昇が送って一死二塁、平林に代わる代打御園生崇男がレフト線にタイムリーを放って1点を先制する。
大和は8回裏、先頭の苅田がストレートの四球で出塁、阪神若林忠志監督はここまで好投を続けてきた玉置を下げて自らマウンドに上がる。山田が送って一死二塁、ここでファーストの門前を下げてライトの藤井勇をファーストに回し、ライトに上田正を入れる。トップに返り渡辺絢吾は遊ゴロ、木村孝平は投ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。
若林は9回も大和の反撃を三者凡退に抑えて今季3個目のセーブを記録、玉置玉一がプロ入り初勝利を飾る。
阪神は3安打、大和は2安打。阪神は3併殺を記録してチームの打数は「27」、大和は牽制死と隠し玉と2つの犠打があってチームの打数は「25」、両チーム合計「52打数」であった。プロ野球記録は「51打数」で、2008年5月2日の阪神vsヤクルト戦など複数回記録されているようです。
東邦商業時代は昭和16年のセンバツ優勝投手であった玉置は戦後も長く打者として活躍し、昭和24年から登録名が安居玉一となって昭和33年に引退するが、プロでマウンドに立ったは昭和17年だけであり、この日の勝利が唯一の勝利投手となる。
*苅田久徳が八番セカンドで大和のスターティングラインナップに名を連ねた。
*1941年センバツ決勝。東邦商業の四番ピッチャーは玉置玉一、一宮中学の四番ピッチャーは林安夫(林兄)でした。写真は「選抜高等学校野球大会50年史」より。
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