2013年1月24日木曜日

名古屋vs金鯱 9回戦 満州リーグ


8月10日 (土) 奉天 満鉄球場

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 2 0 0 1 0 1 0 0 4 名古屋 35勝24敗5分 0.593 松尾幸造 村松幸雄
0 0 0 2 0 0 1 0 0 3 金鯱     15勝41敗7分 0.268 中山正嘉

勝利投手 村松幸雄 14勝8敗
敗戦投手 中山正嘉   8勝20敗

二塁打 (名)村瀬

勝利打点 石田政良 1

石田政良決勝タイムリー

 金鯱は名古屋とタイガースとのダブルヘッダー。第一試合の名古屋戦は中山正嘉が先発する。
 名古屋は2回、先頭の吉田猪佐喜が中前打、桝嘉一が四球を選んで無死一二塁、三浦敏一が三前に送りバントを決めて一死二三塁、中村三郎の左前タイムリーで1点を先制、なお一死一三塁から芳賀直一の遊ゴロの間に三走桝が還って2-0とする。


 金鯱は4回、森田実、室脇正信が連続四球、キャッチャー三浦の捕逸の間に二走森田が一挙生還して1-2、名古屋ベンチはここまで5四球1死球とコントロールの定まらない先発の松尾幸造に代えて村松幸雄をマウンドに送る。松元三彦も四球を選んで無死満塁、中山の左犠飛で2-2の同点に追い付く。

 名古屋は5回、先頭の芳賀が右前打で出塁、村松の投ゴロの間に芳賀は二進、トップに返り石田政良が右翼線にタイムリーを放って3-2と勝ち越す。

 名古屋は7回、先頭の村松が右前打、トップに返り石田は一飛に終わるが村瀬一三の投ゴロでランナーが入れ替わり、大沢清が四球、二死一二塁から吉田が左翼線にタイムリーを放って4-2とする。

 金鯱は7回裏、一死後佐々木常助が四球で出塁、濃人渉が右前打で続き、黒澤俊夫の二ゴロをセカンド木村進一がエラーして一死満塁、森田が中前にタイムリーを放って3-4と追い上げる。


 金鯱は最終回、一死後濃人の遊ゴロをショート村瀬がエラー、黒澤の中前打、森田の左前打で一死満塁、しかし古谷倉之助は二飛、松元は三振に倒れてゲームセットを告げるサイレンが満州の空に高々と鳴り響く。

















 

西鉄、海乃山、ハンバーグ



 元横綱三重ノ海の武蔵川親方が65歳で定年退職しました。


 相撲ネタは当ブログ史上初めてのこととなります。筆者が通っていた千葉県市川市立真間小学校の近くに当時の横綱佐田の山が住んでいました。小学校4年生頃のことと思いますが、佐田の山が出羽の海部屋の力士を引き連れて真間小学校にやってくることとなりました。校庭の隅に土俵が造られ、選抜メンバーが出羽の海部屋の力士と相撲をとることとなったのです。私の小学校時代の一大事件でした。私はメンバーには選ばれませんでしたが、当然の如く出羽の海部屋のファンとなった訳です。佐田の山の引退相撲には真間小学校の生徒が招待されて初めて蔵前国技館に行きました。


 当時は幕内上位に福の花、幕内中位に海乃山がいました。ということで私が初めてファンになった力士が海乃山です。鋭い蹴手繰り(けたぐり)が特徴でした。蹴手繰りで大鵬を破ったことがあります。この頃私が目を付けていたのがまだ幕下だった三重ノ海です。


 「三重県松坂市出身、出羽の海部屋」土俵に登場する時の紹介アナウンスは何度聞いたか分からない程です。私の中学(1971年~73年)、高校(74年~76年)時代に頭角を現してきました。伝説の黒姫山との流血相撲は71年のことでした。“大関キラー”と呼ばれた関脇時代が勢いもあって一番強かったと思います。身体が小さく、肝炎のため休みがちでしたがまさかの大関昇進を果たし、びっくり仰天の横綱にもなっちゃいました。更に驚くことに理事長にもなってしまったのです。本人の粘り強い性格としか言いようがないと思います。三重ノ海ファン歴45年の私が言うのですから間違いないでしょう。理事長時代には色々とご苦労がありましたが、私だけは応援していたことを付言しておきます。


 世の中「巨人、大鵬、玉子焼き」と言われていた頃、私は「西鉄、海乃山、ハンバーグ」でした。どうも巨人は好きになれず、黒い霧事件でみんなが西鉄を苛めるので「じゃー俺がファンになってやろうじゃねーか」ということで西鉄ファンを始めたのが小学校6年の時です。大鵬は晩年しか知りませんので海乃山のファンになりました。玉子焼きが美味しいと思ったことは一度もなく、私の好物はハンバーグでした。小学校時代の通信簿の性格欄にはいつも「ひねくれ者、理屈っぽい」と書かれていました。40年以上経ってもこの性格は一向に治りませんね(笑)。







 

2013年1月23日水曜日

15年 南海vsジャイアンツ 8回戦 満州リーグ


8月10日 (土) 大連 満倶球場
 
1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0  南海            17勝43敗4分 0.283 劉瀬章
0 0 2 0 0 0 1 0 X  3 ジャイアンツ 44勝20敗        0.688 スタルヒン
 
勝利投手 スタルヒン 22勝11敗
敗戦投手 劉瀬章        2勝7敗
 
二塁打 (ジ)川上
三塁打 (南)清水
 
勝利打点 川上哲治 12
 
 
川上哲治、12個目の勝利打点
 
 昨日から政野岩夫、清水秀雄を使い果たした南海はダブルヘッダーの第二試合に劉瀬章が先発、一方ジャイアンツはスタルヒンが先発する。勝負の行方は目に見えるようであるが如何に。

 ジャイアンツは3回、先頭のスタルヒンが四球で出塁、トップに返り呉波の投ゴロは「1-6-3」と転送されるがショート上田良夫からの一塁送球が悪送球となる間に呉は二塁に進み一死二塁、水原茂の右前打で一死一三塁、川上哲治がセンター右に先制タイムリーを放って1-0、中島治康は左飛に倒れるが白石敏男が四球を選んで二死満塁、平山菊二の三ゴロをファースト清水が落球する間に三走水原が還って2-0とする。

 ジャイアンツは7回、先頭の川上が四球で出塁、中島が右前打、白石が四球を選んで無死満塁、平山菊二が押出し四球を選んで3-0とする。しかし吉原正喜は二飛、林清一は右飛、スタルヒンは二ゴロに倒れて追加得点はならず。

 スタルヒンは南海打線を清水の三塁打と国久松一の2安打のみに抑えて3安打無四球4三振で今季9度目の完封、22勝目をあげる。


 翌日の読売新聞によると劉瀬章は「投球にコントロールあり下手投げの低目を衝くインシュートとカーブに巨人を苦しめた。」とのこと。但し劉は8回を完投して7安打8四球無三振であった。


 川上哲治が4打数3安打を記録して夏季通算120打数42安打3割5分となり、ここ2試合無安打の鬼頭数雄を抑えて夏季シリーズ首位打者となる。今季通算では鬼頭が231打数79安打3割4分2厘で首位打者の座をキープ、川上は237打数78安打3割2分9厘で追っている。川上は本日の勝利打点が今季12個目で断トツトップに立っている。勝利打点は勝負強さの指標にはなりませんが鬼頭は3個です。ジャイアンツは勝ち数が多いので川上に勝利打点が記録される確率は高くなりますが、本日の先制タイムリーのような価値の高いヒットを多く打っているのは事実です。









               *スタルヒンは3安打完封で22勝目をあげる。













     *川上哲治が3安打を記録したジャイアンツ打線。









 

15年 南海vs阪急 8回戦 満州リーグ


8月10日 (土) 大連 満倶球場

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 南海 17勝42敗4分 0.288 清水秀雄
0 0 0 0 2 0 1 0 X 3 阪急 34勝23敗4分 0.596 石田光彦

勝利投手 石田光彦 7勝8敗
敗戦投手 清水秀雄 7勝14敗

二塁打 (南)上田良、吉川

勝利打点 なし


石田光彦、投打走に活躍

 昨日奉天でセネタースと延長11回引き分けた南海は三等寝台の夜行列車で今朝大連入りして本日は阪急、ジャイアンツとのダブルヘッダーとなる。現代のひ弱な選手会だと「疲れるからいやだ~」と駄々をこねて「ストライキだ~」と騒いでいるところでしょう。

 南海先発の清水秀雄は制球を整えて4回まで1四球のみ、2安打を許すが初回はフランク山田伝の二盗をキャッチャー吉川義次が刺し、4回無死一塁は井野川利春を遊ゴロ併殺に打ち取りここまで無失点。

 南海は初回、一死後岩出清が四球で出塁、岡村俊昭は右飛に倒れるが吉川が右翼線に二塁打を放って二死二三塁、しかし期待の岩本義行は三振に倒れる。

 南海は3回、先頭の藤戸逸郎が左翼線にヒット、トップに返り国久松一が送って一死二塁、岩出は中飛に倒れるが岡村は四球、更に重盗を決めて再び二死二三塁、しかしここも吉川が三振に倒れて無得点。

 南海は5回、先頭の藤戸が四球で出塁、国久が二打席連続で送りバントを決めて一死二塁、岩出は遊ゴロに倒れて二死二塁、岡村が中前に先制タイムリーを放って1-0とする。

 阪急は5回裏、一死後新富卯三郎が中前打で出塁、伊東甚吉のバントは犠打となって二死二塁、石田光彦は四球を選んで二死一二塁、トップに返り西村正夫に代わる代打森田定雄の遊ゴロをショート前田貞行がトンネルする間に二走新富が還って1-1の同点、一走石田も三塁に達して二死一三塁、ここで森田の代走中島喬が二塁に走りキャッチャー吉川が二塁に送球するとストップ、中島が一二塁間に挟まれる間に三走石田がタイミング良くホームを突いて2-1と勝ち越し、中島は「2-6-1-6」でタッチアウトとなり盗塁失敗が記録されたため石田にはホームスチールは記録されない。

 阪急は7回、一死後上田藤夫が左前打で出塁、上田が二盗を決めて新富の三ゴロの間に三進、伊東が四球を選んで二死一三塁、石田が中前に貴重なタイムリーを放って3-1と突き放す。


 石田光彦は5安打3四球3三振の完投で7勝目をあげる。翌日の満州日日新聞によるとカーブが良かったとのこと。石田の投打走に渡る活躍で阪急が快勝した。










*石田光彦は5安打完投で7勝目をあげる。5回の攻撃では本盗こそ記録されなかったが実質ホームスチールを決め、7回には貴重なダメ押しタイムリーを放った。











 

2013年1月22日火曜日

ダイナスティ



 スタン・ミュージアルと共にアール・ウィーバーの訃報も伝わっています。


 1970年代前半、“ダイナスティ”と呼ばれた無敵のボルティモア・オリオールズを率いた名将です。71年に日米野球で来日したオリオールズは日米の力の違いを見せつけてくれました。78年に来日した“ビッグ・レッド・マシン”と共に、この試合を見て大リーグに興味を持った方が数多く存在します。2012年10月8日付けブログ「ボルチモアムクドリモドキ 後編」をご参照ください。




*1971年ボルティモア・オリオールズのチームサインボールです。スウィートスポット上段がアール・ウィーバー監督のサインとなります。















 

2013年1月21日月曜日

15年 名古屋vsタイガース 8回戦 満州リーグ


8月9日 (金) 奉天 満鉄球場

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 1 0  1 名古屋      34勝24敗5分 0.586 西沢道夫
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 タイガース 36勝24敗3分 0.600 三輪八郎 若林忠志

勝利投手 西沢道夫 11勝5敗
敗戦投手 三輪八郎 11勝3敗

勝利打点 なし


劇的な幕切れ

 名古屋は2回、先頭の桝嘉一が左前打で出塁、しかしキャッチャーカイザー田中義雄からの牽制球にタッチアウト。

 名古屋は4回、先頭の大沢清が右前打で出塁、吉田猪佐喜が四球を選んで無死一二塁、桝の投ゴロでピッチャー三輪八郎は三塁に送球して大沢は三封、三浦敏一が左前打を放って一死満塁、中村三郎の一塁ハーフライナーに一走三浦が飛び出しファースト松木謙治郎が一塁ベースに入って無補殺併殺。

 タイガースは2回~6回まで毎回先頭打者を出すが何れも無得点。2回は松木が四球、3回は三輪が四球、4回も松木が四球、5回も三輪が四球と4イニング連続先頭打者が四球で出塁するが後続なし。6回は先頭の伊賀上良平がショートに内野安打、松木が四球を選んで無死一二塁、田中が三前に送りバントを決めて一死二三塁、宮崎剛に右飛で三走伊賀上がタッチアップからホームを突くがライト吉田猪佐喜からのバックホームにタッチアウト。

 名古屋は8回、先頭の芳賀直一が中前打で出塁、西沢道夫が投前に送りバントを決めて一死二塁、トップに返り石田政良が四球で一死一二塁、村瀬一三も四球を選んで一死満塁、タイガースベンチはここで先発の三輪から若林忠志にスイッチ、大沢の当りはファーストライナー、松木が捕って二塁に送球するがこれが悪送球となる間に三走芳賀がホームインして1点を先制する。

 タイガースは8回も先頭の皆川定之が四球で出塁、本堂が送って一死二塁、しかし伊賀上は三振、松木は二ゴロに倒れる。

 タイガースは9回、先頭の田中が左前打で出塁、代走に釣常雄を起用、宮崎は三振、森国五郎の二ゴロの間に田中が二進して二死二塁、若林が中前にヒットを放ち二走釣は三塁ベースを蹴ってホームに突進、センター石田からのバックホームに釣は本塁寸前タッチアウト、劇的な幕切れで名古屋がタイガースを降す。


 名古屋は6回のライト吉田猪佐喜、9回のセンター石田政良の2つのバックホームで逃げ切った。


 西沢道夫は5安打7四球3三振、今季5度目の完封で11勝目をあげる。










                 *西沢道夫は5安打完封で11勝目をあげる。

















*6回は伊賀上良平が「9-2」とライト吉田猪佐喜からのバックホームにタッチアウト、9回は代走釣常雄が「8-2」とセンター石田政良からのバックホームにタッチアウト。










 

2013年1月20日日曜日

ザ・マン



 スタン・ミュージアルの訃報が伝えられています。ミュージアルついては2012年1月9日付けブログ「ガスハウスギャング ④」に書いていますので重複は避けますが、「野球に興味がなかった亡き父と一度だけ大リーグの話をしたことがありましたが、話題はスタン・ミュージアルでした。」についてだけ補足させていただきます。

 スタン・ミュージアルが日米野球で来日したのは昭和33年10月20日で最終戦が11月16日なので1ヶ月ほど日本に滞在していたことになります。私が神戸で生まれたのが昭和33年11月2日ですが、この日は西宮球場でカージナルスvs全日本戦が行われています。私が生まれた日に隣町でスタン・ミュージアルが野球をやっていました。この年の日米野球は16試合行われましたが、西宮球場ではこの1試合だけです。私が大リーグに興味を持ち始めた中学時代、父から「スタン・ミュージアルは凄い選手だった。」と聞かされた時はほとんど野球の話をしたことがなかっただけに不思議な感じがしましたが、多分これが理由でしょう。



 ベースボール・マガジン社から1978年に刊行されたスタン・ミュージアル伝のタイトルは「大リーグ最高のプレイヤー」ですが、私が考える大リーグ史上最高の選手はスタン・ミュージアルです。第二次大戦以前のタイ・カップ、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、戦中から戦後にかけてのジョー・ディマジオ、テッド・ウイリアムス、スタン・ミュージアル、戦後のミッキー・マントル、ウィリー・メイズを勉強すれば大リーグ史を語ることができます。そこからハンク・アーロン、ロベルト・クレメンテ、ピート・ローズ、マイク・シュミット、オジー・スミス、バリー・ボンズ、ケン・グリフィーJr、アルバート・プホルスへと連なっていきます。彼らの系譜をマイク・トラウト、ブライス・ハーパーが受け継いでいってくれるのか、2010年代の大リーグ野球を「ザ・マン」は天国から見守ることとなりました。





*我が家の玄関に飾っているスタン・ミュージアルのサイン入り写真。一度落としたのでガラスにひびが入っています。