0 0 0 0 0 3 0 0 0 3 阪急 40勝36敗 0.526 天保義夫 溝部武夫
0 1 6 2 0 0 0 1 X 10 グ軍 44勝24敗 0.647 櫛田由美彦
勝利投手 櫛田由美彦 3勝0敗
敗戦投手 天保義夫 10勝9敗
敗戦投手 天保義夫 10勝9敗
二塁打 (急)青田 (グ)堀井、宮崎2、山本
三塁打 (急)坂井 (グ)山本
勝利打点 (グ)堀井数男 7
猛打賞 (急)青田昇 10 (グ)筒井敬三 3
櫛田由美彦、無傷の3連勝
西宮の第2試合は天保義夫と櫛田由美彦の先発で午後3時8分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。
阪急は初回、先頭の山田伝は遊ゴロ、ショート宮崎が一塁に悪送球、しかし山田は二盗に失敗、上田は四球を選び、青田の中前打で一死一二塁と先制のチャンス、しかし野口二郎は一邪飛、野口明は左飛に倒れて無得点。
グ軍は2回裏、先頭の山本一人監督が中越えに三塁打、堀井の左前タイムリーで1点を先制する。続く岡村の右前打で堀井は三塁に走るがライト野口二郎からの好返球にタッチアウト、筒井は中前打、櫛田はストレートの四球で一死満塁とするが、宮崎の投ゴロが「1-2-3」と渡ってダブルプレー。
阪急は3回表、先頭の天保が四球を選んで出塁、しかしトップに返り山田の二塁ベース寄りのゴロをショート宮崎が捕球すると二塁を踏んで一塁送球、「6B-3」のダブルプレー、続く上田が中前打、青田の三ゴロをサード河西が二塁に送球するがベースカバーに入ったセカンド安井が落球、二死一二塁とするが野口二郎は右飛に倒れて無得点。
グ軍は3回裏、先頭の河西の当りは三ゴロ、これをサード坂井豊司がエラー、安井は右飛に倒れ、田川の中前打で一死一二塁、山本の打席で二走河西がディレードスチール、天保はサード坂井に送球、二三塁間に挟まれた河西を追って坂井が二塁に送球するが悪送球となって一死二三塁、山本は四球で一死満塁、堀井がセンター左奥深く走者一掃の3点タイムリー二塁打を放ち4-0、岡村は四球、筒井は三塁内野安打で再度一死満塁、櫛田が押出し四球を選んで5-0、宮崎が三塁線を破る2点タイムリー二塁打を放ち7-0と大きくリードする。阪急ベンチはここで先発の天保から溝部武夫にスイッチ、溝部が後続を抑える。
阪急は4回表、一死後坂井が中越えに三塁打、続く日比野は遊ゴロ、ショート宮崎からの一塁送球の隙をついて三走坂井がホームに突っ込むが、ファースト山本からの送球にタッチアウト。
グ軍は4回裏、二死後堀井が四球を選んで出塁、岡村の右前打で堀井が三塁に進み、ライトからの返球の間に打者走者の岡村も二塁に進んで二死二三塁、筒井の右前タイムリーで8-0、二死一三塁から筒井が二盗、キャッチャー日比野からの二塁送球が悪送球となる間に三走岡村が還って9-0とする。
阪急は6回表、先頭の野口二郎が左前打で出塁、野口明は四球、坂井もストレートの四球で無死満塁、日比野も押出し四球を選んで1-9、田中幸男の左前タイムリーで2-9、溝部の二遊間寄りのゴロをショート宮崎が捕球してベースを踏んで一塁送球、宮崎が3回に続いて「6B-3」の併殺を決める間に三走坂井が還って3-9と反撃する。
グ軍は8回裏、先頭の田川が左前打で出塁、溝部の一塁牽制悪送球で田川は一気に三塁に進み、山本の遊ゴロの間に田川が生還して10-3とする。
櫛田由美彦は8安打6四球1三振で完投、3勝目をマークする。
グ軍は13安打で10得点。阪急の4つのエラーに付け込んで大量点に結び付けた。この結果、8月終了時点でグ軍はタ軍に1厘差で首位の座をキープした。
櫛田のプロでの勝利はこの日が最後となり、シーズン終了後にプロ野球の世界を離れることとなる。「台北一中 - 台北高商 - 勧業銀行」と伝わるだけの無名の存在であるが、グ軍首位浮上の過程における救世主である。
管理人さん、こんにちは。
返信削除櫛田由美彦さんは1982年に台湾へ軟式野球大会に出場した記事があった。
https://catalog.digitalarchives.tw/item/00/25/06/1a.html
貴重な情報ありがとうございます。お陰様で以下の事実も判明しました。
削除昭和15年に櫛田由美彦投手は台北一中で甲子園に出場し、京都商業の神田武夫投手と投げ合う。台湾大会決勝では遊撃手。
昭和25年に熊谷組の主将として都市対抗大会に出場して準優勝。この時は捕手で、久慈賞を獲得。
記録に残っている公式戦で投手、遊撃手、捕手を経験した万能選手でした。