2021年5月16日日曜日

櫛田由美彦の球史

 5月8日付け「21年 阪急vsグレートリング 12回戦」に「Kengi」様から情報提供をいただき、それに基づいて調べた結果、櫛田由美彦の球歴が判明してきました。

 櫛田由美彦投手は台北一中では昭和15年に夏の甲子園に出場し、京都商業の神田武夫投手と投げ合う。台湾大会予選決勝では遊撃手だった。

 キャリアのハイライトは昭和25年に熊谷組の主将として都市対抗大会に出場して準優勝。この時は捕手で、久慈賞を獲得した。熊谷組の監督は選手兼任の浅原直人で、浅原は戦前からプロで活躍し、この後昭和27年にプロに復帰して東急-東映の主力打者となる。櫛田は熊谷組野球部創設時から主将を務めてきた。「都市対抗野球大会 60年史」では写真入りでその活躍を伝えている。

 櫛田由美彦は、記録に残っている公式戦で投手、遊撃手、捕手を経験した万能選手でした。


 そして、1982年には60歳で野球の試合に出場していたことも判明しました。

 私も定年退職後還暦野球に参入、昨年11月から仕事にも復帰しましたが、今季は公式戦、練習試合でここまで14打数7安打、三塁打2本、二塁打2本です(笑)。

参照資料:「全国高等学校野球選手権大会 50年史」、「都市対抗野球大会 60年史」、サイト「台灣棒球維基館」。

2 件のコメント:

  1. 熊谷組が1974年に台湾の現地法人「華熊營造股份有限公司」(株式会社華熊建設)を設立した時に總經理(取締役)として渡台しています。その華熊の公式HPによると、88年に取締役を交代しています。
    5月8日付け「21年 阪急vsグレートリング 12回戦」のコメント欄に書かれたリンク先によると、櫛田は小学校まで高雄(カオション)で生まれ育ち、その後は台北一中、台北高商と進み、戦後は日本へ帰国。台湾は第二の故郷、と常々話していたそうです。
    華熊の取締役に任命される同時に台湾では軟式野球の普及にも取り組みましたが、これは実を結ばなかったようです。

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