2020年10月29日木曜日

21年 ゴールドスターvs中部日本 10回戦

8月9日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 2 0 0 2 0 0 0 0 5 ゴ軍 20勝34敗1分 0.370 内藤幸三 
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 中部 22勝31敗2分 0.415 服部受弘

勝利投手 内藤幸三 9勝14敗
敗戦投手 服部受弘 6勝4敗

勝利打点 (ゴ)田中宣顕 2

猛打賞 (ゴ)中村信一 3、内藤幸三 2


ゴ軍、全て短打の15安打で快勝

 本日の第2試合は内藤幸三と服部受弘の先発で午後3時丁度、金政球審の右手が上がりプレイボール。

 中部は金山次郎が久しぶりに二番セカンドでスタメン出場、杉浦清監督が初めて三番に入った。

 ゴ軍は初回、先頭の中村信一が左前打で出塁、酒沢のニゴロの間に中村は二進、坪内は左飛に倒れるが、田中宣顕が中前にタイムリーを放ち1点を先制する。

 ゴ軍は2回表、先頭の内藤が二塁に内野安打、大友が中前打、辻功の投ゴロで二走内藤は三封、これは送りバント失敗か、一死一二塁から坂本勲がライト線にタイムリーを放ち2-0、一走辻は三塁に進み、更に本塁も狙うがタッチアウト、この間に打者走者の坂本は二塁に向かい、トップに返り中村の左前タイムリーで3-0とリードを広げる。

 ゴ軍は5回表、先頭の坂本の当りは三ゴロ、これをサード小鶴がエラー、トップに返り中村のニゴロの間に坂本は二進、酒沢が右前打から二盗を決めて一死二三塁、坪内が中前に2点タイムリーを放ち5-0と突き放す。

 中部は5回裏、先頭の古川が中前打で出塁、金山の三塁線ヒットで古川が三塁に進んで無死一三塁、杉浦の左前タイムリーでようやく1点を返す。

 内藤幸三は6回以降中部の反撃を許さず、7安打3四球6三振の完投で9勝目をマークする。
 ゴ軍は全て短打で15安打、3回を除いて毎回安打であった。

 中部は打線組み換え効果での得点はあったが全体につながりを欠いた。杉浦監督に代わって選手の入れ替えなどで調子を上げていたがここにきて勢いが落ちている。6球団随一の重量打線を持ちながらチームが一つにまとまっていないことが原因である。

 「お家騒動」と言えばタイガースの代名詞のようなものであるが、中部日本にも同様の構造がある。プロ野球草創期、新愛知新聞が「名古屋軍」、名古屋新聞が「金鯱軍」を結成してプロ野球に参入した。プロ野球創設のきっかけとなった昭和9年の日米野球では、主催の読売新聞は将来のプロ野球参入を見込んで鳴海球場の試合の主催権利を新愛知新聞に譲った。読売の思惑通り新愛知新聞が「名古屋軍」を結成してプロ野球に参入したが、ライバルの名古屋新聞も黙っておらず「金鯱軍」を結成してプロ野球に参入した。ところが戦時中の「新聞統制」により新愛知新聞と名古屋新聞が統合させられたことにより、旧新愛知新聞派と旧名古屋新聞派による派閥争いが続くことになる。現在の中日ドラゴンズのルーツは新愛知新聞が結成した「名古屋軍」とされているが、戦前-戦中-戦後を通して旧名古屋新聞派の赤嶺昌志が最大の功労者であったという複雑な経緯が中部日本の「お家騒動」のルーツであり、赤嶺昌志が「赤嶺旋風」を引き起こすきっかけは、このような経緯によるものである。

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