7月22日 (月) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 0 0 0 0 0 1 2 5 中部 17勝24敗2分 0.415 松尾幸造 服部受弘
0 2 0 0 0 0 0 4 X 6 グ軍 25勝19敗 0.568 丸山二三雄 長谷川治
勝利投手 丸山二三雄 9勝8敗
敗戦投手 松尾幸造 1勝6敗
セーブ 長谷川治 1
二塁打 (中)大沢、古川、加藤 (グ)宮崎、筒井
三塁打 (グ)堀井
勝利打点 (グ)田川豊 2
猛打賞 (中)古川清蔵 3
長谷川治、好リリーフを見せる
後楽園の第2試合は松尾幸造と丸山二三雄の両左腕の先発で午後3時丁度、池田球審の右手が上がりプレイボール。
中部は初回、先頭の古川清蔵が中前打で出塁、続く杉浦清監督の打席で丸山がボークを取られて無死二塁、杉浦の中前打で無死一三塁、小鶴誠の右犠飛で1点を先制、杉浦もタッチアップから二塁に進み、加藤正二が死球を受けて一死一二塁、大沢清のニゴロで加藤が二封されて二死一三塁、藤原鉄之助の2球目に大沢が二盗を決めて二死二三塁、4球目に三走杉浦がスタートを切って本塁セーフ、二走大沢もスタートを切っており、二死二三塁からのダブルスチールで杉浦がホームスチールを決めて2-0とする。サインは自分で出していたのでしょう。
グ軍は1回裏、二死後田川豊のヒットと山本一人監督の四球で一二塁とするが、堀井数男は三振に倒れて無得点。
グ軍は2回裏、先頭の別所昭が右前打で出塁、筒井敬三は一邪飛、丸山は三振に倒れるが、宮崎仁郎がレフト線に二塁打を放って二死二三塁、トップに返り河西俊雄は四球を選んで二死満塁、安井亀和の三ゴロをサード小鶴がタイムリーエラーして1-2、田川の遊ゴロもショート杉浦がタイムリーエラーして2-2の同点に追い付く。
中部は4回表、先頭の加藤が左前打で出塁、大沢が得意の右打ちを見せて右中間を破る二塁打で無死二三塁、藤原鉄之助の投飛を丸山が落球、走者は動かず無死満塁、しかし加藤が丸山の三塁牽制に引っ掛かって一死一二塁、岩本章の打席なのでスクイズのサインが出ていた可能性がある。岩本が四球を選んで一死満塁と攻め立てるが、松尾は三振、三村勲もニゴロに倒れて無得点。
中部は8回表、先頭の小鶴が三塁に内野安打、加藤の左中間二塁打で無死二三塁、大沢の中犠飛で均衡を破り3-2と勝ち越す。
中部は8回裏の守備からサードの小鶴に代えて金山次郎を入れて守備固めに入った。
グ軍は8回裏、先頭の筒井が左中間に二塁打、丸山の投前送りバントをピッチャー松尾が三塁に送球するが二走筒井は二塁に戻り一塁もセーフ、筒井の「偽走」が野選を誘って無死一二塁、宮崎の送りバントは一飛となって失敗、一死一二塁からトップに返り河西が左前に同点タイムリーを放ち3-3、安井が四球を選んで一死満塁、ここで田川が一前にスクイズ、ファースト大沢がホームに送球するが三走丸山の足が一瞬早くセーフ、犠打と野選が記録されて4-3と逆転に成功、一死満塁から山本の遊ゴロが「6-4-3」と転送されるが一塁セーフ、この間に三走河西に続いて二走安井も生還するグ軍らしい好走塁を見せて6-3とリードを広げる。山本は「併殺崩れ」で「2打点」を記録した。
中部は9回表、先頭の三村がストレートの四球で出塁、トップに返り古川は左前打、杉浦も右前打で続いて無死満塁、金山に代わる代打西沢道夫が押出し四球を選んで4-6、加藤の初球、2球目とボール、グ軍はここで丸山から長谷川治にスイッチ、加藤は中犠飛を打ち上げて5-6と1点差、二死一二塁から大沢のベース寄りの遊ゴロをショート宮崎が二塁ベースを踏んで一塁に送球、ダブルプレーが完成してゲームセット、グ軍が辛くも逃げ切る。
好リリーフを見せた長谷川治は4月27日の開幕戦と4月30日の試合でリリーフ登板していたが、それ以降登板が無くこの試合が約3カ月ぶりの登板。千葉茂が「ワシ以上」と認める右打ちの名手大沢清を遊ゴロに仕留めた投球術が高く評価される。
長谷川は海南中学時代に昭和8年から3年連続エースとしてセンバツ出場。昭和9年は夏も甲子園に出場して神戸一中戦で1四球での無安打無得点を達成した。本日の試合で好走塁を見せた安井亀和は長谷川の3年下の後輩で控え選手としてベンチに入っていた。
長谷川はプロを卒業後、アマチュア球界の指導者として活躍することになる。母校海南高校の監督として甲子園出場、同じ和歌山県の日高高校監督でも甲子園出場を果たす。市立和歌山商業の監督として出場した昭和40年センバツは藤田平の活躍などで準優勝、決勝では平松の岡山東商業に延長13回の激闘の末サヨナラ負けを喫する。同校では藤田平、正田耕三と後にプロ野球で首位打者を獲得する2人の好打者を育てることになる。
長谷川のプロでの成績は昭和21年の1年だけの在籍で4試合に登板して9イニングを投げて0勝0敗1セーブ、防御率8.00である。4月27日の阪急戦では1回3分の1を無失点、4月30日の阪急戦は2回3分の1で無失点、7月22日の中部戦では1イニングで無失点と、ここまで4回3分の2で無失点、防御率0.00。ところが、3か月半ぶりの登板となったシーズン終盤の11月3日の巨人戦で4回3分の1を投げて9失点、自責点8を記録してしまった。そのため、通算防御率は8.00となってしまう。
最後に、何故山本一人監督は全く実績のない長谷川治をこの大事な場面で起用したのであろうか。この試合のグ軍は4連戦の4試合目で、別所は第1戦と第3戦に完投しておりこの試合はファーストで出場しているが登板は不可能、清水秀雄は7月13日のセ軍戦がグ軍在籍時の最後の登板でシーズン後半に中部に移籍するまでマウンドに上がっていない。注ぎ込める投手は松川博爾、長沼要男、長谷川の3人だけであるが、山本監督はこの大事な場面で長谷川が甲子園で記録したノーヒットノーランを思い出したのではないか。長谷川治は、大沢清得意の右打ちを封じ込めて遊ゴロ併殺に打ち取り、山本監督の期待に応えたのでる。
*長谷川治の通算記録を0勝0敗1セーブと記載しましたが、昭和21年当時は「セーブ」は公式記録ではありません。この試合のスコアカードから、当ブログが現在の規定に照らして認定したものですのでご了承ください。
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