11月5日 (土) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 1 0 0 0 0 0 0 2 阪急 17勝10敗2分 0.630 石田光彦
0 0 0 3 0 0 0 0 X 3 ライオン 16勝18敗 0.471 近藤久
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 1 0 0 0 0 0 0 2 阪急 17勝10敗2分 0.630 石田光彦
0 0 0 3 0 0 0 0 X 3 ライオン 16勝18敗 0.471 近藤久
勝利投手 近藤久 3勝5敗
敗戦投手 石田光彦 6勝4敗
二塁打 (阪)西村、黒田 (ラ)中谷
三塁打 (阪)上田
近藤久、六者連続奪三振
阪急は2回、一死後上田藤夫が右中間に三塁打、六番ファーストで先発出場の岸本正治は三ゴロに倒れて二死三塁、宇野錦次が中前に先制タイムリーを放つ。
阪急は続く3回、二死から西村正夫が左翼線に二塁打、黒田健吾が中越えに連続二塁打を放って2-0とする。
3回まで無安打のライオンは4回、一死後水谷則一が四球で出塁、室井豊中前打で一死一二塁、中谷順次が左中間に二塁打を放って1-2、玉腰年男四球で一死満塁、山本尚敏が中前に殊勲の逆転タイムリーを放って3-2とする。
後半の阪急はライオン先発近藤久のナチュラルチェンジアップにタイミングが合わず4回以降は岸本の中前打1本に抑え込まれる。
近藤久は5安打3四球何と9奪三振の完投で今季3勝目をあげる。近藤の9奪三振は記憶にございませんので恐らくパーソナルベストではないでしょうか。いずれにしろ近藤久としては快挙ですので全三振をお届けします。3回、先頭の石田光彦三振、4回、一死一二塁で大原敏夫三振、5回、一死後西村正夫三振、7回、二死三塁で山下好一三振、8回、先頭の上田藤夫は三振ナットアウト、キャッチャー室井豊からファースト玉腰年男に送られて記録は三振、続く岸本正治三振、更に宇野錦次三振とこの回三者三振。9回、先頭の大原敏夫に代わる代打宮武三郎三振、続く石田光彦に代わる代打高橋敏三振、最後はフランク山田伝を一塁ライナーに討ち取る。と言うことで7回の山下好一から9回の高橋敏まで六者連続奪三振と1934年第2回大リーグオールスターゲームのカール・ハッベル並みのピッチングを見せる。
大リーグオールスターゲームは「リーグの違うカール・ハッベルとベーブ・ルースの対戦を見たい」という一少年ファンの投書をきっかけにシカゴ万国博覧会の記念行事として1933年に開催されたのが始まりです。第1回大会ではルースvsハッベルの対決は見られなかったが、1934年の第2回で対戦が実現してカール・ハッベルがベーブ・ルースを三振に打ち取り、ついでに「キング・カール」がルース以降、ルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックス、アル・シモンズ、ジョー・クローニンと五者連続奪三振を達成しました。ハッベルの武器は右打者の外に落ちるスクリュー・ボール、近藤久は幼年期に凧糸で左手を怪我して十分に開くことができず、開かない左手にボールを押し込んで投じるスクリュー気味のナチュナル・チェンジアップを武器としています。
1986年のオールスターゲームでは、今度はフェルナンド・バレンズエラがハッベル以来となる五者連続奪三振をやりました。バレンズエラの武器もぐにゃりと曲がるスクリュー・ボールです。六人目のカービー・パケットはスクリューが来る前の初球を叩いてショートゴロ、オジー・スミスが軽く捌いて新記録はなりませんでした。因みにこの試合はナショナル・リーグがドワイト・グッデン、アメリカン・リーグがこの年20奪三振を達成したばかりのロジャー・クレメンスの先発と言うことで大いに盛り上がり、日本でも堀内氏の解説で中継されました。この時のビデオテープは今でも鮮明に映ります。
*流通しているカール・ハッベルのサインはほとんどがインデックス・カードなのでサインボールは極めて珍しいのではないでしょうか。隣はフェルナンド・バレンズエラのサイン入りカード。
*1986年大リーグオールスターゲームのビデオ。チャーリー・ハフのもの凄いナックル・ボールやマイク・スコットの解説の堀内氏もびっくりのスプリット・フィンガード・ファスト・ボールも映っています。
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