2011年6月13日月曜日

全日本大学野球選手権・決勝 

 スポニチを読む前に書いておきたかったので早起きしてこの時間に失礼いたします。昨日はBSのテレビ観戦です。

 準決勝の藤岡を見た印象では「騒がれる程のピッチャーかな?」などと失礼なことを書いてしまいましたが、スライダーがいいのでプロでも通用するでしょう。何より精神力が素晴らしい。あとは余り表情に出さなくなればもっといいのでは。

 1対1の膠着した状況が続きましたので、こういう時は山崎が決めてくれるだろうと見ていたのですが、案の定ライトへ大飛球、打った瞬間「やっぱりやってくれたか」と思ったのですがスタンド前で失速してライトがフェンスにぶつかりながら好捕しました。あの瞬間に慶應の負けが決まったと言ってよいでしょう。江藤采配に注文が一つ。左の藤岡と言うことで山崎を六番に下げたのか、それにしても代わりに入れた右のスウィングはとても三番が務まるとは思えませんでした。ショートに福富を使ったのは準決勝の働きから当然でしょうが。打線の組み替えも敗因の一つだったと思います。

 伊藤は大会期間中調子を落としていたようですが、こういう試合では調子に関係なく一振りで決めてほしかった。山崎は本人がプロを希望しているかどうかは知りませんが、あの守備ではちょっと無理でしょう。

 慶應の福谷は横須賀高校の出身と言うことで当然神奈川だとばっかり思っていたのですが愛知県立横須賀高校の方だそうです。一般入試で理工学部に入ったそうなので本人はプロでやる気は無いのかもしれませんがプロ側は放っておかないでしょう。準決勝を神宮で見た時、ブルペンでまだキャッチャーを立たせて投げているピッチングを見て驚きました。球の勢いが違う。誰かと思ったら福谷でした。昨日のテレビを見ても藤岡より球の力は上と見ましたがいかがでしょうか。解説の金光氏によると愛知にすごいピッチャーがいるという噂は大学野球関係者の間では有名だったそうです。但し理工学部は三年から実習と実験で練習時間がかなり制約されることになりますのでここからが大変です。矢上台のキャンパスからは、高校硬式と大学準硬式が使っている日吉台のグラウンドには近いのですが、大学硬式のグラウンドは日吉の駅の反対側にありますので移動だけでも大変です。今の学生なら原付を使うのでしょうが。結構坂が多いので自転車では電動以外は厳しいか。工学部(81年から理工学部に変わっているようです。私は81年卒業なので工学部の名しか知りませんでした。)に進んだ野球経験者はグラウンドが近い上にあまり練習をしなくても済む準硬式に入るケースが多いのですが。慶應黄金時代の荻野と同時代に神宮で活躍した工藤というサイドハンドの速球派が工学部だったのですが、練習をしている時は萩野より速いと言われていましたが実習と実験で練習ができなくなるとスピードが落ちることで有名でした(記憶のまま、もしかしたら別の投手と勘違いしているかもしれません。)。

 解説の金光氏は今やアマチュア球界の重鎮、広島商業時代、センバツで作新の江川を破った時は金光の三盗でキャッチャー小倉の送球ミスを誘い決勝点をあげたものです。センバツは準優勝でしたが夏は優勝、法政大学に進み江川、槍田、中林(甲子園優勝投手の佃も法政に進みましたが何故か神宮では活躍していません)、植松、徳永(広島商業の主砲楠原もいますが大学時代はあまり印象に残っていません)等と共に黄金時代を形成したメンバーであることはご存じのとおり。金光氏は大学時代に日吉の駅前で見かけたことがあります。慶應に用事があったのか、合宿が近くて確か綱島の教習所に通っていたと記憶していますがこちらもアテにはなりません。


 なお、プロ以外の選手については基本的に敬称を用いることにしておりますが、選手時代の記述の際は敬称略とさせていただいております。また、学年が下の場合は基本的に呼び捨てとさせていただいております。

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