2017年10月24日火曜日

18年 巨人vs阪神 11回戦


10月24日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
0 0 0 0 2 0 0 0 0  0   1  3 巨人 50勝26敗2分 0.658 須田博
0 0 0 0 0 2 0 0 0  0   0  2 阪神 38勝31敗6分 0.551 三輪八郎 若林忠志

勝利投手 須田博       9勝4敗
敗戦投手 若林忠志 23勝11敗

二塁打 (巨)白石、中村

勝利打点 須田博 2


沢村栄治 、最後の出場

 試合は須田博と三輪八郎との投げ合いで進んでいった。

 巨人は4回まで2安打無得点。5回、一死後坂本茂が四球で歩くと二盗に成功、トップに返り呉昌征がバントヒットを決めて一死一三塁、呉が二盗を決めて一死二三塁、白石敏男が左中間に二塁打を放って2点を先制する。

 阪神は5回まで須田に封じ込まれて無安打無得点。2点を追う6回、一死後門前真佐人が死球を受けて出塁、御園生崇男が左前にチーム初ヒット、玉置玉一に代わる代打田中義雄がストレートの四球を選んで一死満塁、武智修の遊ゴロの間に三走門前が還って1-2、三輪八郎にかわる代打若林忠志が右前にタイムリーを放って2-2の同点、二走田中も三塁ベースを蹴ってホームに突っ込むが、ライトの強肩・中島治康からのバックホームにタッチアウト。阪神はサード玉置に代打田中を送った関係で7回から野口昇がサードの守備に入るが、ならば田中に代走で野口昇を起用すべきであった。そうすれば、駿足・野口昇の足であればホームインしていたかもしれない。

 阪神は三輪八郎の代打に出て同点タイムリーを放った若林がそのままマウンドに上がる。

 巨人は9回表、一死後中村政美が左中間に二塁打、しかし青田昇は右飛に倒れ、須田が四球を選ぶが、坂本も右飛に倒れて無得点。

 阪神は9回裏、二死後若林が四球を選んで出塁、トップに返り塚本博睦が中前打を放って二死一二塁とサヨナラのチャンス、しかし金田正泰は中飛に倒れて延長戦に突入する。

 巨人は11回、先頭の永沢富士雄に代わる代打藤本英雄がセンター右にヒット、多田文久三は左飛に倒れるが、藤本が二盗を決め、中村は四球を選んで一死一二塁、青田昇に代わる代打沢村栄治 は三邪飛に倒れて二死一二塁、須田が二遊間に決勝タイムリーを放って3-2と勝ち越す。 

 須田博は11回を3安打7四球4三振で完投、9勝目をあげる。藤本英雄が30勝を超えてから足踏みしている巨人にとって、終盤に須田が復帰してきたのは大きい。

 11回表の巨人の攻撃で青田昇に代わる代打として登場し、三邪飛に倒れた沢村栄治 。これが最後の公式戦出場となった。沢村はこの後3度目の応召、戦死することとなる。

 沢村が代打で出場して三邪飛に倒れた最後の試合で、阪神の若林忠志と巨人の藤本英雄も代打で起用されて共にヒットを放っているという事実は、当ブログが取り上げるまでほとんどの方が知らなかったのではないでしょうか。

 

2 件のコメント:

  1. 野口二郎は、田村大五から投手の打撃で印象に残っている人はいないか、と尋ねられて即座に沢村栄治の名をあげています。
    「リストのきいたいいバッティングをしていましたよ。クセのないきれいなフォーム、スイングでね、惜しいことをしましたね。戦争でもなかったら、もし肩を痛めて投げられなくなったとしても、じゅうぶん打者として生きつづけられたと思いますね」
    京都商時代に腰本寿が右打ちから左打ちへ転向させたのも、やはり右手首の力を打撃でも活かそうと考えたのでしょう。

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    1.  基本的には右投手は右肩を守るため左打ちにはしません。
       なので、大谷は基本的には「打者」であると考えています。
       日大桜ヶ丘の中根正広は1972年のセンバツで左打席から14打数10安打を記録した右投手でした。近鉄入団後も投手をやっていましたが、入団10年後から打者に転向して素質を開花させました。

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