お伝えしたとおり、昭和18年4月24日、四番ピッチャー高橋敏が名古屋戦で完投勝利を飾りました。
高橋は昭和18年6月29日の朝日戦でプロ入り初の四番でスタメン出場していますが、この試合ではライトを守っています。したがって、四番ピッチャーでの先発出場はこの試合が初めてのこととなります。
日本プロ野球史上「四番ピッチャー初試合で勝利と安打を記録した選手」は、
昭和15年10月12日 浅野勝三郎
昭和18年 4月13日 別所昭
昭和18年10月24日 高橋敏
昭和19年 4月10日 須田博
昭和19年 5月21日 内藤幸三
昭和23年 5月20日 藤村冨美男
平成29年10月 4日 大谷翔平
の7人だけとなります(一部スポニチ参照)。大谷がやったので世の中に大きく紹介されました。
大谷の場合は、メジャー移籍前年の終盤戦での顔見世興行。藤村も昭和23年は主に四番サードか三番サードで出場しているのでショーマンシップに溢れた顔見世興行と認定できます。
昭和19年の須田と内藤は人員不足が大きな要因。別所の場合は、前年四番を打っていた岩本義行が再招集となって昭和18年序盤は外野とピッチャーで四番で出ていたことが要因です。
昭和15年の浅野はレフトかライトで四番を打っていて投げる時は下位に入っていましたが、10月12日は四番ピッチャーに初めて入りました。実質的な二刀流と評価できます。
7人の中で、勝利打点も記録したのは高橋敏と内藤幸三だけ。勝利投手・勝利打点・猛打賞を記録したのは内藤だけとなります。
「4番・投手」大谷は完封勝利をあげていますが、これは近畿日本の清水秀雄が昭和19年7月29日の産業7回戦で記録して以来ですね。
返信削除初試合で「4番・投手」だった大東京のジミー・ボンナは、ご存知の通り滅多打ちに遭っていますが、1安打3打点を記録しています。
ボンナは打者の一刀流で行っていれば生き残れたかもしれません。
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