9月15日 (水) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 名軍 34勝20敗6分 0.630 石丸進一
2 0 0 0 0 0 0 0 X 2 阪急 20勝38敗2分 0.345 中田武夫
勝利投手 中田武夫 5勝9敗
敗戦投手 石丸進一 13勝7敗
二塁打 (名)石丸進一 (急)三木
勝利打点 三木久一 1
猛打賞 (急)三木久一 1
三木久一、勝利打点と猛打賞
名古屋は初回、一死後古川清蔵が四球を選んで出塁するが二盗に失敗、続く小鶴誠も四球を選ぶが、吉田猪佐喜は二飛に倒れてスリーアウトチェンジ。
阪急は1回裏、先頭の中村栄がストレートの四球で出塁、上田藤夫の三ゴロをサード小鶴が二塁に悪送球して無死一二塁、三木久一のライト線二塁打で二者還り2点を先制する。
名古屋は2回、一死後岩本章が四球で出塁、芳賀直一は捕邪飛に倒れるが、藤原鉄之助も四球を選んで二死一二塁、石丸進一がレフト線に二塁打を放って1-2、なお二死二三塁のチャンスが続くが、トップに返り石丸藤吉は遊ゴロに倒れて同点機を逃す。
立ち上がりコントロールが不安定だった阪急先発の中田武夫は3回以降立ち直り3回、4回と三者凡退。5回は藤原鉄之助と古川に四球を与えるが無安打に抑えて無失点、6回~8回も三者凡退に抑え込む。
名古屋は9回、先頭の吉田が中前打、加藤正二が送って一死二塁、しかし岩本は三振、芳賀は中飛に倒れて試合終了。
中田武夫は6四球を与えたが2安打2三振の完投で5勝目をマークする。
三木久一が初回に決勝の二塁打を放ち猛打賞を記録する活躍であった。三木は戦争の時代を生き抜き、1945年11月に行われた東西対抗にも出場するが、1948年に病死することとなる。
*終戦直後の1945年12月1日に発行された「体育週報」臨時号。西軍の外野手に三木久一の名が見られる。
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