11月1日 (日) 甲子園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 0 1 0 2 巨人 66勝27敗4分 0.710 須田博
0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 阪急 46勝45敗6分 0.505 小田野柏
勝利投手 須田博 22勝8敗
敗戦投手 小田野柏 1勝4敗
勝利打点 呉波 8
須田博、完投で22勝目
巨人先発須田博と、阪急先発小田野柏との投げ合いで4回まで両軍無得点。
巨人は5回、先頭の坂本茂が四球を選んで出塁、小池繁雄の左前打で無死一二塁、須田が送りバントを決めて一死二三塁、トップに返り呉波の当りはセンターライナー、これが犠飛となって1点を先制する。
巨人は8回、一死後白石敏男が右前打で出塁、楠安夫の遊ゴロをショート中村栄がエラーして一死一二塁、中島治康の右前打で一死満塁、青田昇の遊ゴロ併殺崩れの間に三走白石が還って2-0、二死一三塁から永沢富士雄の一二塁間へのゴロが一走青田に当たりインターフェアが宣告されてスリーアウトチェンジ。この場合、永沢の記録は内野安打となる。
阪急は8回裏、先頭の池田久之が左前打で出塁、中村の中前打で無死一二塁、笠松実の投前送りバントはピッチャー須田がダッシュ良く飛び出し二走池田は三封、トップに返りフランク山田伝が一塁線にバントヒットを決めて一死満塁、上田藤夫の中犠飛で1-2とする。
須田博は9回裏の阪急の攻撃を三者凡退に抑え、5安打2四球5三振1失点で完投、22勝目をあげる。
このところライトとピッチャーで併用されている小田野柏は9回を完投して8安打2四球3三振2失点。小田野は昭和13年に阪急に入団していきなり2完封、すぐに兵役にとられて今季戦場から戻って外野と併用されながら好投を続けている。戦後は都市対抗で活躍して日本球界初の「天覧ホームラン」を放ち、2リーグ分裂後プロに復帰して1954年の高橋ユニオンズで現役を引退、翌55年にはトンボユニオンズの二軍監督に就任する。秋山哲夫編集・発行「高橋球団(ユニオンズ)3年間のあゆみ」によると、この時のトンボ二軍は「トンボBユニオンズ」と名付けられたとのこと。因みに秋山哲夫氏は高橋ユニオンズのオーナー高橋龍太郎のお孫さんです。
注)当ブログでは「野球人」については原則として「呼び捨て」とさせていただいております。したがって、「高橋球団(ユニオンズ)3年間のあゆみ」を編集・発行された「野球人」秋山哲夫は呼び捨て、秋山氏個人を語る場合は敬称付き、「野球人」高橋龍太郎は呼び捨てとさせていただきますのでご了承ください。
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