2012年7月5日木曜日

15年 金鯱vs阪急 2回戦


3月30日 (土) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0    0 金鯱 3勝6敗1分 0.333 松元三彦 中山正嘉
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0    0 阪急 4勝5敗1分 0.444 森弘太郎

二塁打 (金)長島 (阪)山田

勝利打点 なし


両軍無得点

 延長11回を両軍無得点で引き分けた。金鯱は4安打、阪急は5安打で、マルチヒットを記録したのはフランク山田伝の4打数2安打だけであった。

 阪急先発の森弘太郎は4回までパーフェクトピッチング。5回二死後、野村高義に二塁内野安打を許すが上野義秋を二ゴロに打ち取る。6回は一死後五味芳夫に中前打、7回は二死後長島進に左翼線二塁打を打たれるが後続を抑える。8回~10回は無安打。11回、二死後山本次郎に左翼線ヒットを許すが濃人渉を右飛に抑える。

 金鯱先発の松元三彦は1回二死後、黒田健吾に左翼線ヒットを許すが黒田が二塁を欲張り「7-6-4」でタッチアウト。3回、先頭の森弘太郎にツースリーから3球ファウルで粘られ四球、トップに返り中島喬は三振に打ち取るが山田に左前打を打たれた一死一二塁、しかし黒田を三ゴロ併殺に仕留める。5回、一死後伊東甚吉に中前打を許すが森を中飛、中島を三振に打ち取る。6回、先頭の山田が左中間に二塁打、一死後山下好一を歩かせて一二塁、しかしここも井野川利春を一邪飛、山下実を二ゴロに抑える。7回、先頭の上田藤夫が中前打、続く伊東に四球を与えたところで二番手中山正嘉が登場する。

 7回無死一二塁でリリーフ登板した金鯱二番手の中山は森を投ゴロ、中島に代わる代打浅野勝三郎を中飛、当っている山田を遊ゴロに打ち取りピンチを防ぐ。中山は8回以降の阪急打線を無安打無得点に抑えて延長11回、0対0で引き分ける。

 森弘太郎は11回を完投して4安打2四球5三振。松元三彦は6回3分の0を5安打3四球1死球4三振、中山正嘉は5回を無安打3四球3三振、全員無失点のピッチングであった。

 阪急はこれで26イニングス連続無得点となった。









                  *延長11回を0対0で引き分ける。







2012年7月3日火曜日

15年 ジャイアンツvs阪急 2回戦


3月29日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 1 2 2 0 0 0 0  5 ジャイアンツ 7勝2敗 0.778 スタルヒン
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪急             4勝5敗 0.444 石田光彦 山田伝

勝利投手 スタルヒン 4勝1敗
敗戦投手 石田光彦  0勝3敗

二塁打 (ジ)千葉
三塁打 (ジ)林、中島、川上

勝利打点 なし


スタルヒン今季2度目の完封

 ジャイアンツは3回、先頭の平山菊二が中前打で出塁、スタルヒンが投前に送りバントを決めて一死二塁、トップに返り千葉茂が四球を選んで一死一二塁、ここでダブルスチールを試みるとキャッチャー井野川利春からの三塁送球が悪送球となって平山が生還して1点を先制する。

 ジャイアンツは4回、二死後吉原正喜の遊ゴロをショート上田良夫がエラー、林清一がセンター右奥に三塁打を放って2-0、平山の遊ゴロを又も上田がエラーする間に林が還って3-0とする。

 ジャイアンツは5回、先頭の千葉が右翼線に二塁打、一死後中島治康が右中間に三塁打を放って4-0、川上哲治が左中間に三塁打を放って5-0とする。

 阪急は5回で先発の石田光彦が降板し、6回からセンターのフランク山田伝がマウンドに上がる。山田は6回からの4イニングを1安打1四球3三振無失点の好投を見せる。

 スタルヒンは4安打3四球5三振で今季2度目の完封、4勝目をあげる。

 今季からジャイアンツも送りバントを多用してきたことにお気付きでしたら立派な当ブログ通です。藤本定義監督はバントが嫌いで昨年まではほとんど送りバントは使ってこなかったのですが今季は多様しています。使用球の劣化が更に進みスモールボールを余儀なくされているようです。

 ジャイアンツは4本の長打を全て得点に結び付けたが、打球方向は全て反対方向である。この辺りにも使用球の更なる劣化が現れているのかもしれない。










               *スタルヒンは今季2度目の完封で4勝目をあげる。











鑑定団



 本日の鑑定団に昭和9年日米野球の日米両チームサイン色紙が登場しました。私は150万と鑑定しましたが、鑑定結果は160万でした。ところが・・・


 鑑定士の話では「ゲーリッグとスタルヒンが入っていないのが残念」とのことでした。この色紙は京都でサインされたものです。京都在住の出品者の父親がその時の通訳だったことから書いてもらったとのことです。ここまで聞いて「おかしいのでは?」と思えないと当ブログ通とは言えません。サインは本物であることは間違いありません。しかし、スタルヒンのサインが入っていないのは当り前です。スタルヒンが全日本チームに合流したのは11月29日の大宮の試合からで、28日の京都の試合には行っていません。

 こんなことも知らない人間が「鑑定士」を名乗っているのが実情です。本物の鑑定士前野氏は鑑定団のひどさに嫌気がさしてずいぶん前に自ら番組を降りています。鑑定団もテレビでやるのならもう少し勉強してくださいね。当ブログをお読みになられることをお薦めいたします。

 因みにルー・ゲーリッグだけがチームサインから抜けているケースは良く見られます。ゲーリッグは新婚旅行を兼ねて来日していますので、エレノアと観光に出かけるのに忙しかったのでしょう。この頃は既にベーブ・ルースとの仲が修復不能だったとも言われており、これも関係しているかもしれません。











*昭和9年に来日した全米チームが函館で残したチームサイン。宿泊先の旅館の絵葉書に書いています。ここにもルー・ゲーリッグは入っていません。

 本日の鑑定団の出品作にはモー・バーグが入っていませんでした。バーグもスパイ活動に忙しかったのでチームと行動を共にしないことがよくありました。函館では綺麗なサインを残しています(上段上から二番目)。流石に函館ではスパイ活動はしていなかったのでしょう。のんびりと湯の川温泉に浸かってリラックスしていたのでしょうか、日本で残したモー・バーグのサインの中では最高級のものと考えられます。












*こちらは昭和10年第1回アメリカ遠征時の東京ジャイアンツのチームサインボール。鈴木惣太郎、ビクトル・スタルヒン、澤村栄治の英字サインが同一パネルに書かれています。昭和9年の全日本チームにはスタルヒンの合流が遅れたので全日本のサインボールにはスタルヒンのサインが入っていないのが普通です。最も有名な昭和9年11月25日付け読売新聞附録の両チーム集合写真(全選手サイン入り)にも当然スタルヒンの姿はありません。





2012年7月2日月曜日

15年 セネタースvs金鯱 1回戦


3月29日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 3 0 1 0 1  5 セネタース 4勝4敗1分 0.500 野口二郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 金鯱          3勝6敗 0.333 古谷倉之助 内藤幸三

勝利投手 野口二郎     3勝1敗
敗戦投手 古谷倉之助 1勝3敗

二塁打 (セ)佐藤 (金)濃人
三塁打 (セ)西岡

勝利打点 織辺由三 1


野口二郎今季初完封

 昭和15年3月24日付け読売新聞は金鯱の小林茂太がセネタースに移籍したと伝えている。小林茂太は本日、セネタースの四番として初登場。

 セネタースは2回、二死後石井豊が四球で出塁、村松長太郎の右翼線ヒットで二死一三塁と先制のチャンスを迎えるが佐藤武夫は三振に倒れる。4回は一死後小林茂太がセネタース移籍後初ヒットとなる中前打を放つが柳鶴震の投ゴロは「1-4-3」と渡ってダブルプレー。

 セネタースは5回、一死後村松が中前打、佐藤が左翼線に二塁打を放って一死二三塁、織辺由三が中前にタイムリーを放って1点を先制、トップに返り苅田久徳は三ゴロに倒れるが横沢七郎が四球を選んで二死満塁、野口二郎が中前に2点タイムリーを放って3-0、一走横沢はバックホームの隙に三塁を狙うがキャッチャー長島進からサード山本次郎に送球されてタッチアウト。

 セネタースは7回、先頭の織辺が四球で出塁、苅田の三塁内野安打で無死一二塁、横沢の三ゴロ併殺で二死三塁、野口が左前にタイムリーを放って4-0とする。

 金鯱は8回から先発の古谷倉之助を下げて内藤幸三をリリーフに送る。

 セネタースは9回、一死後小林に代わる代打西岡義晴が右中間に三塁打、柳の遊ゴロの間に西岡が還って5-0と突き放す。

 野口二郎は危なげないピッチングで、2回山本に中前打、4回濃人渉に左中間二塁打、9回瀬井清に左翼線ヒットを許したのみ、結局3安打1四球7三振で今季初完封。打っても3打点の活躍であった。

 翌日の読売新聞によると鈴木惣太郎が試合中セネタースベンチに陣取って取材していたようで、5回の攻撃で苅田監督の指示がズバリ的中する様子を伝えている。村松には「初球を逃すな」と指示して中前打(スコアブックには2球目を打ったと記録されてはいるが)、佐藤には「ポイントをはっきり極めて打て」と指示して左翼線二塁打、織辺には「カーブを狙え」と指示して2球目のカーブを打って中前タイムリーとのことである。







               *野口二郎は3安打完封で3勝目をあげる。












     *苅田監督の指示がズバリ的中して快勝したセネタース打線。











2012年7月1日日曜日

15年 名古屋vsイーグルス 2回戦


3月29日 (金) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 1 0 0 0 0  1 名古屋        7勝2敗 0.778 西沢道夫 村松幸雄
0 0 2 0 0 1 0 1 X  4 イーグルス 4勝5敗1分 0.444 亀田忠

勝利投手 亀田忠     3勝3敗
敗戦投手 西沢道夫 4勝1敗

三塁打 (名)中村 (イ)谷

勝利打点 谷義夫 1


亀田忠、名古屋に連勝

 イーグルスは3回、一死後岡田福吉が四球で出塁、岩垣二郎がツーツーから中前打を放って一死一二塁、中河美芳の一ゴロの間に二者進塁して二死二三塁、谷義夫が左中間に三塁打を放って2点を先制する。

 名古屋は4回から先発の西沢道夫に代えて村松幸雄をリリーフに送る。

 名古屋は5回、先頭の中村三郎が右中間に三塁打、一死後芳賀直一の遊ゴロで中村がホームに突っ込むとショート山田潔が本塁に悪送球して1-2とする。

 イーグルスは6回、中河が左前打で出塁、谷は三飛、亀田忠は右飛に倒れるが寺内一隆の右翼線ヒットで二死一三塁、竹内功が中前にタイムリーを放って3-1とする。

 イーグルスは8回、又も先頭の中河が左前打で出塁、谷が中前打で続いて無死一二塁、亀田の左前打をレフト吉田猪佐喜が悪送球する間に中河が還って4-1とする。

 亀田忠が許したヒットは中村の三塁打以外では3回の村瀬一三の右前打と8回の大沢清の右前打だけ、亀田は名古屋強力打線を3安打6四球8三振1失点自責点ゼロに抑える完投で3勝目をあげる。

 名古屋は7勝2敗となって二位ジャイアンツと半ゲーム差、名古屋が喫した2敗は何れも亀田忠にしてやられたものである。








            *亀田忠は3安打完投で名古屋に連勝する。







「聯盟公報」「聯盟ニュース」


 昭和11年4月25日、「日本職業野球聯盟公報」第一号が刊行されました。「聯盟公報」は昭和11年10月30日発行の第八号から「日本野球聯盟ニュース」となり、次の第九号からそれまでのB5版からA4版に変わり、昭和14年9月25日発行の第四十三号まで続きました。

 当ブログは鈴木惣太郎氏が所有・保管していた第一号~第四十三号までの全号を入手しました。野球体育博物館も全号を所有していますが、職員の方の話ではあちらこちらから掻き集めたもので、ワンオーナーものは極めて珍しいとのことです。

 刊行から70年以上が経過しており著作権の保護期間は時効を過ぎていると考えられますので、本日より写真を公開させていただきます。日本野球史を伝える貴重な資料です。但し、野球体育博物館の職員の方の話では、山内以九士氏が確認した際、いくつかの記載間違いが確認されているとのことですのでご注意ください。






     *昭和11年4月25日に刊行された「日本職業野球聯盟公報」。








     *鈴木惣太郎氏が所有・保管されていたものです。














15年 南海vsジャイアンツ 3回戦


3月27日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 1  1 南海             3勝5敗1分 0.375 劉瀬章
2 1 0 0 0 0 0 1 X  4 ジャイアンツ 6勝2敗 0.750 楠安夫

勝利投手 楠安夫 1勝0敗
敗戦投手 劉瀬章 1勝1敗

二塁打 (南)花田、国久 (ジ)中島
三塁打 (ジ)楠

勝利打点 中島治康 2


楠安夫、投手生活最後の勝利

 ジャイアンツは初回、先頭の千葉茂がワンスリーから四球を選んで出塁、水原茂の投ゴロの間に千葉は二進、中島治康が中越えに二塁打を放って1点を先制、翌日の読売新聞によると不慣れなセンター清水秀雄が目測を誤ったとのこと。川上哲治は三ゴロに倒れるが、白石敏男の三ゴロをサード国久松一がエラー、吉原正喜が三遊間を破って2-0とする。

 ジャイアンツは2回、先頭の林清一が左前打、楠安夫が右中間に三塁打を放って3-0とする。

 南海は4回、先頭の末崎隆行が四球で出塁するが上田良夫の投ゴロは「1-4-3」と渡ってダブルプレー、負傷の吉川義次に代わってスタメンマスクの花田勘一朗が左中間に二塁打、劉瀬章が四球を選んで二死一二塁、しかし藤戸逸郎はノースリーから三振に倒れる。

 ジャイアンツは8回、先頭の白石が中前打、吉原の三ゴロの間に白石は二進、平山菊二は三振に倒れて二死二塁、林が左前にタイムリーを放って4-0とする。

 南海は9回、先頭の上田の遊ゴロをショート白石が一塁に悪送球、花田の二ゴロをセカンド千葉がエラーして無死一二塁、藤戸の三塁強襲安打で上田が還って1-4とする。更に二死後岡村俊昭がストレートの四球を選んで二死満塁、しかし国久が投ゴロに倒れて試合終了。

 4回に二塁打を放った花田勘一朗は通算5打数1安打でプロ野球から去ることとなる。生涯唯一のヒットが本日の二塁打であった。

 楠安夫は7安打5四球3三振1失点、自責点ゼロの完投で1勝目をあげる。楠は投手としては通算7勝、この後は野手として戦後まで活躍することとなる。今季の1勝1敗で投手生活を終了することとなり、本日の勝利が最後の勝利投手となる。打っても2打数2安打1打点三塁打1本の活躍であった。


 昭和11年に出場してから応召し、今季戦場から戻ってきた林清一が4打数2安打1得点1打点1盗塁の活躍を見せる。

 宝塚運動協会解散後、現在のプロ野球の原型となるのは昭和11年からであるが、4月29日から行われた公式戦「第一回日本職業野球リーグ戦」にはジャイアンツが第2回アメリカ遠征中であったため参加しておらず6チームで行われています。7月1日から戸塚球場で行われた「聯盟結成記念全日本選手権」には6月25日に帰朝したジャイアンツも参加して7チームが揃い、ここからを公式記録とする説が有力のようです。

 林清一は7月1日の第一試合「名古屋vsジャイアンツ」戦の一番センターに起用されて、「日本職業野球聯盟公報」第四号(昭和11年7月25日発行)のテーブルスコアに「4打数1安打2打点1四球」と記載されています。但し、野球体育博物館の職員の話では、聯盟公報には間違いが記載されている可能性があるとのことなのでご注意ください。Wikipediaには「林は日本プロ野球公式記録上初の被四球者となっている」と記述されています。この試合の「1四球」が公式記録としての初四球であった可能性があります。与四球第一号は名古屋のハーバート・ノースとなります。








       *楠安夫が7安打完投で1勝目をあげる。投手生活最後の勝利となった。












*聯盟広報の写真は初掲載となります。公式戦第一戦ともされる昭和11年7月1日に戸塚球場で行われた「聯盟結成記念全日本選手権」第一試合「名古屋vsジャイアンツ」戦を伝えるテーブルスコア。林清一の四球が第一号とも言われている。