11月24日 (土) 桐生新川
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 4 2 0 4 2 0 0 14 西軍 1勝1敗 0.500 丸尾千年次 笠松実
3 0 1 0 3 0 1 0 1 9 東軍 1勝1敗 0.500 近藤貞雄 森井茂
勝利投手 丸尾千年次 1勝0敗
敗戦投手 近藤貞雄 0勝1敗
二塁打 (神)呉昌征2、本堂保次、(急)野口明、上田藤夫、下社邦男、(中)加藤正二、金山次郎、(巨)楠安夫
三塁打 (神)藤村冨美男2、(急)下社邦男、(巨)呉新亨、近藤貞雄(中)藤原鉄之助、古川清蔵
勝利打点 (急)下社邦男 1(当ブログの推測)
猛打賞 西軍 (神)呉昌征(4安打)、(神)藤村冨美男(4安打)、(急)上田藤夫
桐生遠征
昭和20年の東西対抗は、当初11月22日と23日にステートサイドパークで行われる予定であったが、22日の試合が雨天中止となり、11月23日に、戦前には使用が認めてもらえなかった神宮球場でプロ野球試合が史上初めて行われた。そして翌日、群馬県桐生市に遠征する。
群馬県では中島飛行機工場があった太田市で昭和20年2月10日、2月16日、2月25日、4月4日、7月28日、8月14日に空襲があり、8月5日には前橋市と高崎市に大空襲、8月14日から15日にも高崎市と伊勢崎市が空襲に見舞われた。その中で、これらの都市の近隣に位置する桐生市ではB29の飛来は確認されたが奇跡的に戦禍を免れていたのである。
「体育週報」には「球場は不燃都市桐生も、近隣の前橋、高崎、伊勢崎等が戦災を蒙っているので復興に力を貸して戦災復興住宅建設作業場となっており、外野の奥には木材の堆積、大工さんが働いており試合中も馬車やトラックが出入りするという特異な風景、その中の狭いところで行われた」と書かれている。この試合で二塁打と三塁打が多発した理由は、こうした事情に起因していると考えられる。
西軍は初回、トップの呉昌征がセーフティバントを決めて出塁、藤村冨美男の三塁打で1点を先制、野口明の二塁打が続いて2-0とリードする。
東軍は1回裏、四球で走者を溜めると藤原鉄之助が2点タイムリー三塁打、諏訪裕良のタイムリーで3点を奪い逆転に成功する。
西軍は3回表、下社邦男の三塁打などで4点を追加して逆転。
西軍は4回表、呉昌征と藤村の長打などで2点を追加、8-4とリードを広げる。
東軍は5回裏、長打を連発して3点返して7-8と1点差に詰め寄り、なおも一三塁とチャンスを作るが、一走古川清蔵がスタートすると三走近藤貞雄がホームに走りダブルスチールを慣行、ところが近藤がタッチアウトとなって同点のチャンスを逸す。
東軍先発の近藤貞雄は6回にも大量失点、マウンドを森井茂に譲ることとなった。
西軍は18安打の猛攻。トップの呉昌征が4安打、二番上田藤夫が3安打、三番藤村冨美男が4安打、四番本堂保次が2安打、五番野口明が2安打と上位打線が爆発した。
東軍も15安打を放って応戦したが、三番千葉茂の不振が足を引っ張った。
この試合で大下弘に代わって東軍のスタメンファーストに入りタイムリーを放った諏訪裕良は昭和21年から投手として活躍、後に養子に入って高野裕良と改名し、昭和25年には25勝をあげることとなる。筆者が所属している還暦野球「品川ベースボールクラブ」で、高野投手の息子さんとチームメイトです(笑)。
*参照「体育週報」
この試合の実況中継はスコアカードを解読したものではなく、「体育週報」の記載を参照したもので、事実と異なる可能性があります。
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