2019年7月19日金曜日

東軍vs全桐生

11月25日 (日) 桐生新川

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計 
0 0 0 1 0 3 2 0 1  0   0   0  7 東軍     0勝1敗 
0 0 1 2 0 0 4 0 0  0   0 1X  8 全桐生 1勝0敗

勝利投手 常見茂(兄) 
敗戦投手 白木義一郎 

二塁打 (中)加藤正二、(桐)皆川定之、木暮力三
三塁打 (中)加藤正二
本塁打 (セ)大下弘

猛打賞 東軍(中)加藤正二(4安打)、金山次郎


全桐生、実力勝ち

 昭和20年の東西対抗は11月23日に第1戦がステートサイドパークで行われ、第2戦は11月24日に桐生新川球場で、第3戦と第4戦が12月1日と2日に西宮球場で行われたが、11月25日にも桐生新川球場で東軍vs全桐生の試合が行われたことはあまり知られていない。

 以下、「体育週報」の記述より。


「終戦後関東の球界に活躍しているのは横沢三郎氏を中心としてチームを結成して日本野球連盟に加入したセネタース軍と、桐生の球都にあって異派と交えぬ全桐生軍とである。
桐生軍はかつての職業野球人であった皆川、三輪、木暮、中村等を擁して内野の堅守 一致団結の〇〇等に侮り難いものがある。十八、九日にセネタース軍と対戦して利を失ったものの〇〇して勝利への意欲に燃えている。


 東軍は・・・最初からタジタジの姿であるとこへ内野が凡失を繰り返して・・・桐生がリード。


 7回には東軍が3点をリードしたが、7回裏桐生は5安打で一挙4点を取って試合を逆転、東軍も粘って9回に同点に追いつき延長戦となって観衆を熱狂させたが、試合運は桐生にあり12回裏桐生は四球と投手悪投と内野安打で決勝点をあげ大歓声を受けた。」


 東軍は13安打、全桐生は12安打と打撃は互角であったが、東軍は6失策、全桐生は2失策と、守備力の差が明暗を分けた。東軍で練習を積んでいたのはセネタースの白木義一郎、飯島滋弥、大下弘のみであったのに対して、全桐生は数多くの職業野球経験者が練習を積んでいたことから、実力で東軍を上回っていたのである。


 全桐生は、稲川東一郎監督が桐生中学出身者を集めて戦災のなかった桐生でいち早く練習を積んできた。皆川定之、中村栄、三輪裕章、小暮力三、木暮英路兄弟、青木正一の職業野球経験者や、後にプロ入りする常見茂、常見昇兄弟、稲川豪一がこの試合に出場している。更に戦前屈指の強打の遊撃手であった大塚鶴雄(柳鶴震)が加わり、昭和21年の都市対抗では準優勝することとなる。


*参照「体育週報」、「都市対抗野球大会60年史」。


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