2026年8月11日火曜日

57年ぶり

 横手高校は57年振りの甲子園出場。アルプスの応援席には57年前に選手として出場した古老のOBも駆け付けてNHKのアルプスリポートに登場されました。

 57年前の昭和44年第51回大会決勝は、甲子園史に残る激戦として知られています。北奥羽代表三沢高校と北四国代表松山商業との決勝は延長18回引分け再試合となり、松山商業が剛腕太田を崩して優勝しました。この試合は親戚の家で全27イニングを見ていたのではっきりと覚えています。西奥羽代表横手高校の出場もおぼろげながらに覚えているような気がしますね。

 公立高校と野球強豪校との差は、体格を見れば一目瞭然です。かつて全国を制した銚子商業は、現在でも千葉では上位に出てきて関東大会に駒を進めることもありますが、浦和学院との試合前の整列で体格を比べてみると、横幅は半分くらいしかない。この日の試合でも、敦賀気比の一塁手と横手高校の一塁ランナーを比べてみればその差が際立っていることに多くの方が気付いたのではないでしょうか。

 結果は10対0。こんな試合は意味がないと考えるか、だからこそ意味があると感じるかは見る側の人間性の問題でしょう。

 

2026年8月10日月曜日

事実上の決勝戦

 チケットは完売。1回戦ながら「事実上の決勝戦」とも言われた横浜vs沖縄尚学戦は7対2で横浜が完勝。

 織田は力が抜けて頭が動かない軸回転のフォームに乱れはなかった。縦スラのキレは大阪桐蔭時代の藤浪以来の完成度です。打たれるとムキになって球が高めに浮く癖がありましたが、本日は常にリードを奪う展開で沖縄尚学に付け入るスキを与えなかった。

 「慶應式スコア」の練習も順調に進んでいます。スリーバント失敗で刺殺がキャッチャーに記録される記入方法など、細かな点の再チェックが必要ですね。 



2026年8月9日日曜日

22年 8月 月間MVP

月間MVP 
投手部門  
 太陽 真田重蔵 通算2回目 

 投手部門は史上空前の争いとなった。 
 
 清水秀雄は6勝2敗4完封。72回3分の2を投げて防御率0.99、WHIP0.94。  
 野口二郎は7勝1敗1完封。74回を投げて防御率1.34、WHIP0.78。  
 川崎徳次は6勝1敗3完封。56回を投げて防御率0.32、WHIP0.70。  
 真田重蔵は7勝2敗2完封。100回を投げて防御率1.08、WHIP0.98。 
 
 数字だけを見ると川崎徳次が有利に見えるが、真田重蔵の100イニング登板での成績は高く評価できる。延長12回自責点ゼロで引分け完投も2試合あった。 
 
 また、中谷信夫も5勝2敗1完封、56回3分の2を投げて防御率1.43、WHIP0.94と健闘した。

打撃部門
 南海 堀井数男 初受賞

 堀井数男は81打数32安打9得点9打点、打率3割9分5厘。
 堀井は8月25日までは65打数30安打。最後の4試合で少し打率を落としたが、圧倒的な成績を残した。月間四球数は2個だけと、積極的に打っていった結果であった。

 西沢道夫も64打数25安打8得点11打点、打率3割9分1厘と健闘した。西沢が戦後を代表する好打者に変貌を遂げるターニングポイントとなった月間成績であった。

2026年8月7日金曜日

野球の学校2026 公式記録員が教える「NPB式スコアの付け方」教室(上級編)

 8月20日に東京ドームで「野球の学校2026 公式記録員が教える『NPB式スコアの付け方』教室(上級編)」が行われるので行ってきます。

 「NPB式スコア」とは「慶應式スコア」のことで、現在ではほぼ全員が「早稲田式スコア」を付けていますが、プロ野球公式スコアだけは「慶應式スコア」で付けられており、当ブログがアップしているのも「慶應式スコア」を解読しているものです。

 本来であれば「初級編」と「中級編」に参加していなければ「上級編」には参加できませんが、筆者が約4千試合の一リーグ時代の「慶應式スコア」を解読していることはよく知られているので、特別に参加が許されたのかもしれません。

 「慶應式スコア」を解読することにかけては、NPB公式記録員を除けば日本で最も詳しいと思っていますが、実際の試合を見ながら「慶應式スコア」を付けるのは結構大変です。最も苦労するのは、1球毎に老眼鏡を外したり付けたりしながらスコアを付けることです。18イニング両手をフル稼働させなければなりません。

 取り敢えず、本日の甲子園第4試合のスコアを「慶應式」で付けてみました。8月20日までもう少し時間がありますので、予習をしておきます。当日は実際の試合を観ながら「慶應式スコア」を付けるというイベントです。東京ドームの公式記録員がスコアを付ける記録室も見学できるというのが最大の魅力です。



2026年8月6日木曜日

22年 南海vs太陽 15回戦

8月31日 (日) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 計
0 0 0 0 0 1 0 0 0  0   0   0  1 南海 43勝37敗4分 0.538 別所昭 
1 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0  1 太陽 36勝44敗4分 0.450 真田重蔵

二塁打 (南)河西 (太)中谷、松井

勝利打点 なし

猛打賞 (太)中谷順次 4


真田重蔵、1カ月で3度目の延長12回引分け

 甲子園の第2試合は別所昭と真田重蔵両エースの先発で午後3時14分、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 太陽は初回、一死後藤井勇が四球を選んで出塁、二死後中谷順次がレフト線にタイムリー二塁打を放ち1点を先制する。

 南海は3回表、先頭の別所の当りは遊ゴロ、これをショート松井信勝が一塁に悪送球、筒井敬三の三ゴロでランナーが入れ替わり、小林悟楼の左前打で一死一二塁、しかし小林はキャッチャー伊勢川真澄からの牽制球に刺され、安井亀和が四球を選んで二死一二塁とするが後続なし。

 南海は5回表、先頭の別所が左前打で出塁、しかし一死後小林のファーストライナーに別所が飛び出してダブルプレー。

 南海は6回表、一死後河西俊雄がライト線に二塁打、ここで河西が三盗、キャッチャー伊勢川の三塁送球が悪送球となって河西が生還、1-1の同点に追い付く。

 太陽は8回、9回と二走者を出すが無得点、試合は延長戦に突入。

 南海は10回表、先頭の別所が三塁線にヒット、筒井の投ゴロでランナーが入れ替わり、筒井は二盗に成功、小林は四球で一死一二塁、トップに返り安井の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレー。

 南海は12回表、先頭の堀井数男が中前打で出塁するが、飯田徳治の投ゴロ併殺打でチャンスを潰す。

 太陽は12回裏、先頭の佐竹一雄が左前打で出塁、代走に蔵本光夫を起用、松井が送って一死二塁と最後のチャンス、しかし別所が粘って後続を抑え、延長12回引き分く。

 月間MVP候補の真田重蔵は延長12回を6安打4四球8三振、1失点自責点ゼロで完投。真田は7月31日の大阪戦、8月2日の大阪戦に続いて1カ月で3回目の延長12回引分け完投となった。

2026年8月2日日曜日

訂正のお知らせ

 7月22日付けブログ「巨人vs東急 12回戦」において、白木義一郎の勝敗数を「15勝9敗」とお伝えしていていましたが、「15勝19敗」の間違いでしたので、お詫びして訂正いたします。

 ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。


2026年7月31日金曜日

22年 中日vs大阪 13回戦

8月31日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 中日 47勝31敗1分 0.603 清水秀雄 
0 0 0 0 0 2 0 0 X 2 大阪 54勝27敗3分 0.667 若林忠志

勝利投手 若林忠志 17勝9敗 
敗戦投手 清水秀雄 14勝7敗

勝利打点(大)藤村富美男 9


大阪が首位独走を決定付ける勝利

 後楽園の第2試合は清水秀雄と若林忠志の先発で午後2時53分、池田球審の右手が上がりプレイボール。

 二位中日と首位大阪の差は4.5ゲーム差。中日はこの試合に勝てばまだチャンスは残る。月間MVPを狙う清水も負けられない一戦。

 前半戦は両投手の好投で5回まで両軍無得点。

 大阪は6回裏、先頭の呉昌征が四球を選ぶと、続く塚本博睦の初球に二盗に成功、塚本の当りは三ゴロ、これをサード三村勲がエラー、無死一三塁から金田正泰の投ゴロで三走呉は動かず塚本は二進して一死二三塁、このチャンスに藤村富美男が中前にタイムリーを放ち二者を迎え入れて2-0とリードする。

 若林忠志は4安打無四球1三振で今季5度目の完封、17勝目をマークする。 

 大阪は二位中日に5.5ゲーム差を付けた。この試合から首位独走態勢を固めたと言える貴重な1勝であった。

 清水秀雄は8イニングを6安打1四球5三振2失点、自責点1であった。史上稀に見る激しい月間MVP争いを続ける清水としては、1敗以上に大きい敗戦となった。

 中日としては名手三村勲の失策が痛かった。

 三村勲は飯塚商業で2年先輩の小鶴誠の後輩となる。昭和21年に中日入りするきっかけは先輩小鶴の存在が大きかった。赤嶺旋風など、この後は小鶴誠と行動を共にすることになり、昭和25年の松竹水爆打線では二番打者として貴重な活躍を見せてセ・リーグ初優勝に貢献する。二番ながら16本塁打で犠打はゼロであった。現在では二番に強打者を配置するのは常識になっている。日本では西鉄の豊田泰光が「強打の二番打者の元祖」と言われることが多いが、史実としては「強打の二番打者の元祖」は三村勲であったと言えるのではないか。この点については、もう少し事実関係を精査してから発表する予定である。

 昭和21年から23年の3年間で2本塁打だった三村が、昭和24年と25年に二桁本塁打を記録したのはラビットボールの影響であったが、この2年間で三村は打法転換に成功し、昭和25年から27年の3年間はリーグ最多三振と振り切る打撃に転換し、ラビットボール廃止後にも2度二桁本塁打を記録することになる。