2026年6月14日日曜日

訂正のお知らせ

 読者の方からのご指摘により、2012年2月10日付け「14年 セネタースvsタイガース 9回戦」におけるセネタース4回表の攻撃での得点経過を修正しました。 
(誤)「柳鶴震のタイムリー二塁打で5-0」 
(正)「柳鶴震が左中間を破るタイムリー二塁打を放ち4-0、佐藤武夫の遊ゴロの間に柳は三進して一死三塁、家村相太郎の中犠飛で5-0とする。」  
 私の解読ミスが原因でした。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願い申し上げます。

 なお、この日(昭和14年9月6日)の家村相太郎の中犠飛は公式記録になります。

 「犠飛」については、1939(昭和14)年に大リーグの規則改正により公式記録となりました。日本では導入が少し遅れて昭和14年4月22日以降は公式記録として扱われることになりました。
 ところが昭和16年から「犠飛」は公式記録から外され、「打点」は記録されますが「凡打」の扱いとなって打数に加算されることになりました。軍部からの指摘という説もありますが、戦後も昭和28年まで継続され、昭和29年から公式記録となります。

 例えば川上哲治の公式記録では、昭和14年と15年の「犠飛」は4本と4本で、昭和29年は7本が記録されて以降は昭和33年の引退年まで毎年記録されていますが、昭和13年春秋と昭和16年~昭和28年は「犠飛」が記録されていません。

 当ブログでは、「犠飛」が公式記録ではなかった時期についてもスコアカードから「犠飛」と認められるケースは全て「犠飛」として実況中継しており、この間の「幻の犠飛」は全て集計しています。

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