2018年8月15日水曜日

甲子園100回シリーズ その9「甲子園の石」


 11日目の始球式は力強い投球で甲子園を沸かせた安仁屋宗八氏。沖縄を代表しての登板です。

 安仁屋投手を擁する沖縄高校(現・沖縄尚学高等学校)は1962年、南九州大会を制して甲子園に出場。沖縄代表として甲子園に初出場したのは1958年の40回記念大会に各県1校の代表として出場した首里高校でした。まだアメリカ統治下ですから「沖縄‟県”代表」ではありませんでしたが。

 首里高校は1回戦で敗れ、甲子園の土を持ち帰りましたがアメリカ統治下の沖縄では植物防疫法に抵触することからグラウンドに持って帰ることはできませんでした。このニュースを聞いた日本航空の客室乗務員Kさんが「石なら大丈夫」ということで甲子園の石を首里高校に寄贈し、現在も首里高校の「友愛の碑」に埋め込まれています。

 今大会の開会式で皇太子殿下が「私の甲子園の最初の記憶は50回記念大会でした」と挨拶されていましたが、その50回大会でベスト4に進出して「興南旋風」を巻き起こした興南高校。本日の黙とうの場面も興南の試合中でしたね。興南高校のグラウンドを訪れてレフト席で練習を見せてもらったことがあります。住宅街の小さなグラウンドで、レフトは狭くオーバーフェンスでもエンタイトル二塁打。レフト席に飛び込んだ打球を拾いに来た選手がきちんと帽子を取って挨拶してくれました。まぁ、スカウトと間違えられただけかもしれませんが(笑)。

*首里高校を訪問した際に撮影させていただいた「友愛の碑」。パクリ写真ではありませんのでご安心ください。


 

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