2018年8月17日金曜日

甲子園100回シリーズ その11「二刀流」


13日目の始球式は金村義明氏。ちょっと外に引っ掛かりました。やっぱり金村は打者ですね。
ということで、本日は二刀流特集。


島本講平 箕島
1970年センバツ優勝投手。変化球投手で球威はありませんでしたがバッティングは天才的。当時の新聞の見出しに「島本、長打ほしいまま」というのがあったのを覚えています。南海でも最初はピッチャーで起用されましたがこらは明らかに客寄せパンダ。すぐに打者に専念して成功しました。


仲根正広 日大桜ヶ丘
1972年センバツ優勝投手。この大会では14打数10安打5打点、打率7割1分4厘をマークしました。190㎝ありましたので近鉄でもピッチャーを続けましたが芽が出ず、打者に転向して成功しました。最初から打者に専念していたらと悔やまれます。私が高校時代から「大谷は打者に専念すべき」と主張し続けている理由の一つに、仲根の先例があります。


愛甲猛 横浜
1980年夏優勝投手ですが、決勝戦では早実に打ち込まれ、控えの同じ左腕川戸投手のリリーフを仰いでいます。
矢張りプロでは打者に転向して成功しました。愛甲は最初から打者に専念していたイメージがありますが、少し投手もやっていたようです。


金村義明 報徳学園
1981年夏優勝投手。ピッチャーとしてはシュート回転で疑問に思っていましたが、バッティングは天性のもの。プロでは当然にして打者として成功しました。


江川も高校時代は「打者としても1位があって2位は無し」などと言われていました。まぁ、野球では最も運動能力に優れた選手がピッチャーをやるわけで、打者としても一流であることはある意味当然でもあります。金田も、江夏も、堀内も、山田も打者として一流であったことは誰もが知る事実ですからね。

*甲子園優勝投手・金村。


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