7月2日付けブログ「18年 巨人vs阪急 10回戦 」に寄せられたコメントは、野球史解読の上で貴重なものであると考えられますので、ここに再掲載させていただきます。
コメントを頂いたお二人のHNを見れば、どなたであるかは当ブログの読者の方であればお分かりでしょう。
藤本英雄が先発して3回で降板したにも関わらず「勝利投手」が記録された理由を、よくご考察ください。
kikaku usukoi2017年7月2日 23:58
この当時は、大差がついて勝負が決まったと思われれば、それまで投げていた投手に勝利がついていたんですねえ。
「藤本の勝利は例外規定(勝利確定の場合の交代)による。」でしょうか・・括弧内の最後の2文字が難読です。
shokuyakyu2017年7月3日 23:11
解読ありがとうございます。「代」の字は「代打」や「代走」でもよく見られる字なので間違いないと思います。
昭和12年3月27日の西村幸生のデビュー戦も先発して3イニングで交代して勝利投手になっています。この試合もタイガースが2回で8点取って「勝利確定による交代」でした。
昭和14年のスタルヒンの42勝も、現行ルールでは38勝になります。戦後の見直し作業で40勝にされたとされていますが、実際は38勝です。昭和15、16年以降はこのようなケースはあまり見られなくなってきました。特例がルールブックに規定されていたかは定かではありません。
tomo Taba2017年7月4日 11:17
こんにちは。勝利投手確定による交代ですが、スポニチ東京版1953(昭和28)年1月8日付に”記録が語る球界よもやま話 下”という記事で、「公式記録員が勝利投手の決め方の中の特例である五回まで投げなくとも勝敗を決したとみられる大量得点でリードしていながら新人投手等にリリーフさせた場合は勝利投手を前の投手にやってもよいとある」と記述があり、実際1954(昭和29)年までは、特例で勝ち星をつけた投手が何人かいます。
またこの記事では1951(昭和26)年9月20日(記事のまま、私調べでは30日)巨人・大洋戦で巨人が4回まで11対1とリードし、先発中尾が4回で降板、その後5回を松田が投げて勝利投手となったが、この場合特例で中尾に勝ちをつけてもいいパターンなのに、公式記録員も彼に連勝の記録を作らせてやろうと勝利投手にしたと書かれていました。
まだまだこの時代もルール内でアバウトに勝ち投手を決めていたようです。
転載ありがとうございます。たばともさんご紹介の記事のように、手心を加えて・・という場面もあったのですね。
返信削除自サイトへのリンクで恐縮ですが、2リーグになってから藤村富美男が四番ピッチャーで先発した消化試合
http://2689web.com/1951/TW/TW19.html
大量リードでも何でもないのに4回で引っ込んで勝ち投手、不思議だなと思っていましたが、
記録員の気持ちとしては「面白いから藤村に勝ちをつけてしまおう」だったのかも知れませんね。
巨人独走のシーズン終盤、観客サービスで登板した四番・藤村冨美男に勝利投手がサービスされた感じでしょうか。
削除大きく取り上げていただいて恐縮です。
返信削除藤村の試合ですが、最後を締めたのが弟の藤村隆男だった事も大きいでしょうか。この頃のルールであれば藤村隆男が勝ち投手ですが、兄に花を持たせたのかもしれません。
弟の隆男ならば白星お預けになっても文句は出るまい、という記録員の意識が働いていそうですね。
返信削除また、記録員がそう考えることも見越して松木監督が隆男を最後まで投げさせたのかなとか、
その無言のメッセージを記録員が見事に受け止めたのかなとか、想像が膨らみます。
ルールから多少はずれますが、イキな計らいだと思います。
野球史研究とは、仮説と検証の連続です。
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