「訂正のお知らせ」でお伝えしたとおり、昭和22年5月4日の後楽園の第1試合はいつもより1時間早い午後零時5分試合開始となった。
第1試合の終了時間は午後1時43分で、第2試合の開始時間は午後2時34分であったが、この間に「憲法発布記念行事」が行われた。
日本国憲法は前年11月3日に「公布」され、この前日「施行」された。当ブログが憲法「発布」記念行事とお伝えしている理由は「雑記」欄に「憲法発布記念行事」と記載されていることによる。
5月3日は東京は35㍉の降雨で試合が中止となったため、翌日の5月4日に「憲法発布記念行事」が行われることとなった。5月3日の神戸は10.3㍉の降雨であり試合ができるような状態だったかもしれないが甲子園の試合も中止になった。後楽園で行われる「憲法発布記念行事」に合わせて小雨の甲子園も中止にしたのかもしれない。
具体的にどのような「行事」であったのか。米国のメッセージ、即ちGHQの祝辞に続いて池田豊、若林忠志、坪内道則及び広瀬謙三の4人が「表彰」されたのである。坪内が「野球名人」の称号を得たのはこの時の「表彰」によるものと言われている。この日は若林と坪内は甲子園で試合を行っていて後楽園での「表彰」は受けていない。
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