2020年4月13日付け「21年 巨人vs阪急 7回戦」において、黒沢俊夫の放った本塁打について「「雑記」欄や「日本野球年鑑」に記載はないが、スコアカードからはランニングホームランであったと強く推認できる。」とお伝えした。
公式記録における昭和21年の黒沢の本塁打は7月4日の第1号(ランニングホームラン)、10月5日の第2号、10月10日の第3号の3本である。
昭和21年7月12日付け「日刊スポーツ」では「本塁打王は誰か」の特集記事を掲載しており、「ここまで41本の本塁打が打たれており、巨人では林清光と山川喜作の2本だけ」と伝えている。
事実は、ここまで42本の本塁打で巨人は林、山川、黒沢俊夫の3本であるが「日刊スポーツ」の記事では黒沢の本塁打が抜け落ちている。
これは、「日刊スポーツ」編集部のミスというよりは、「日刊スポーツ」の記者は黒沢のランニングホームランをワンヒットワンエラーと記録したことに起因する可能性がある。
昭和11年の沢村栄治の1回目のノーヒットノーランも、某新聞社は公式記録ではエラーと記録されたプレーを内野安打と記録して「1安打ピッチング」と伝えたことがある。
昭和11年の段階ではまだ「公式記録」の概念が薄く、スコアは各新聞社の記者が独自に記録していた。昭和21年には「公式記録」の概念は定着していたと考えられるが、公式記録員山内以九士が復帰するのは昭和22年からのことであり、戦後の混乱期ならではの事象であろうか。
当ブログが所有する「日刊スポーツ」は昭和21年7月8日以降のもので、7月4日の「巨人vs阪急 7回戦」を伝えたと考えられる7月5日付け記事は確認できない。
なお、昭和21年10月25日付け「日刊スポーツ」は終盤戦での本塁打特集記事を掲載し、ここでは黒沢の本塁打が「3本」と公式記録どおりに修正されている。
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