2022年3月6日日曜日

21年 ゴールドスターvsセネタース 13回戦

9月29日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 ゴ軍 33勝50敗1分 0.398 内藤幸三 
0 0 0 0 1 1 0 0 X 2 セ軍 38勝47敗 0.447 黒尾重明

勝利投手 黒尾重明   9勝12敗 
敗戦投手 内藤幸三 16勝21敗

二塁打 (セ)大下

勝利打点(セ)大下弘 7

猛打賞 (ゴ)清原初男 1


ニュー大下誕生

 第23節4日目、西宮の第1試合は内藤幸三と黒尾重明の先発で午後1時丁度、杉村球審の右手が上がりプレイボール。

 この日西宮球場に詰めかけた9,968人の観衆のお目当ては第2試合のタ軍vsグ軍戦であったが、第1試合も好ゲームとなった。

 ゴ軍は初回、先頭の酒沢が中前打で出塁するが、黒尾の一塁牽制に引っ掛かり一二塁間に挟まれてタッチアウト、二死後坪内道則監督が4球ファウルで粘って中前打を放つが、西沢は遊飛に倒れて無得点。

 ゴ軍は2回表、先頭の新戦力清原が左前打で出塁、しかし一死後小前博文の投ゴロが「1-6-3」と渡ってダブルプレー。

 ゴ軍は3回表、先頭の辻功が中前打で出塁、坂本勲の投ゴロでランナーが入れ替わり、二死後大友が四球を選んで一二塁、坪内が中前にタイムリーを放ち1点を先制する。

 セ軍は3回まで三者凡退が続く。内藤はこの間5奪三振と、序盤からの飛ばし過ぎが懸念される。

 セ軍は5回裏、一死後長持が左前打で出塁、黒尾も左前打で続き、根津弘司が四球を選んで一死満塁、清水喜一郎の同点左犠飛で1-1と追い付く。

 セ軍は6回裏、二死後飯島が四球を選んで出塁、ここで大下がセンター左奥にタイムリー二塁打を放ち飯島が一塁から生還、2-1と逆転に成功する。

 逆転された内藤は7回裏、黒尾、根津を連続三振に打ち取る力投、8回も三者凡退に抑えて味方の反撃を待つ。

 ゴ軍は最終回、先頭の清原が左前打で出塁、しかし黒尾の牽制に釣りだされて一二塁間でタッチアウト、内藤は三邪飛、小前に代わる代打中村信一も三ゴロに倒れてゲームセット。

 黒尾重明は8安打2四球1三振の完投で9勝目をマークする。初回と最終回の大事な場面で一塁走者を牽制でアウトにしたプレーが大きく、投ゴロも4つあって6補殺を記録した。

 内藤幸三は8イニングで9奪三振の力投。技巧派に転じた戦後復活初年度でも、昭和11年のプロ野球初年度に沢村を凌いで初代奪三振王に輝いた剛腕は健在である。

 決勝二塁打を放った大下の打球はセンター左奥に飛んだ。

 大下がここまで放った18本の本塁打は全てライトスタンドへのものである。体重を軸足に残して振り切る近代野球式打撃から繰り出す豪打に少年ファンは熱狂したが、試合数と同数の三振もあり、戦前からの当てる打撃に固執する評論家からは、この当時酷評されていたのである。これには大下も参っていたようであり、アベレージヒッターへと転向していく過程は、綿密な取材を基に書かれた辺見じゅん著「大下弘 虹の生涯」に詳しい。

 この日、内藤幸三から放ったセンター左奥への二塁打は、シーズン最終本塁打となる第20号がこの年初めてレフトスタンドに飛び込むことにつながっていき、大下はこの後アベレージヒッターに転向して3度の首位打者に輝くことになるのである。

 ニュー大下が誕生した瞬間であった。

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